素人サブカル批評

草映画ライターとして映画評論。たまに他のサブカル評論。

映画バカ時報 2018.4.24. 「映画を評論しようとしたら、映画館の話になっちゃった」

ひっさびさに映画館で映画を観てきました。

観たい映画があったというよりも、映画を観る時間ができ、映画館に行きたくてしょうがなかったために何も調べずに向かって、ちょうどいい時間の映画を観たってだけです。

僕は映画館が好きです。これは映画が好きであるということと全く別の趣味として成り立っています。建造物・空間として好きなんです。ある種のフェチズムだと思います。ありとあらゆることにちょいと噛みしたがる性格の自分には大量の趣味があります。広がりすぎて、実は趣味というには浅すぎるのでは?と自己否定感に浸る時もあるくらいいろいろあります。

古今東西の映画が好きです。ブラックミュージックを源流としているあらゆる音楽が好きです。映画史・ポップ音楽史や映画論・音楽論など、系譜を知ったり理論分解したりするのも好きです。おおよそ球技というジャンルのあらゆるものが好きです。服を観たり選んだり買ったりも好きです。アメリカ文学SF小説が主ですが、文学も好きです。現代アートも結構好きで、大学で授業までとって学んだりしてました。

ジャンル問わず、漫画も好きです。『ガロ』『危ない1号』などに代表されるようなアングラ系の産物(根本敬とか作家も含め)が好きです。犯罪に至ったことはないですが、アルコール・タバコ・マリファナ・コカインその他の麻薬・向精神薬など、いわゆる嗜好的な薬物の知識を集めるのも好きです。アメリカのカウンターカルチャー史やイギリスのモッズシーン史を調べるのも好きです。

とまあ、よくもこんなにへんてこな趣味人になってしまったものだと思いつつ、そういったものと同様に建築が好きです。この趣味が自分の中で特別なのは、上記の魑魅魍魎な趣味がどこから始まったのか自分が認識しているのに対して、建築だけは自分でもよくわからないうちに好きになっていた、という点です。自分の祖父は解体屋のトビでしたが、そのへんが建物好きにしたのでしょうか。愛情が一種の破壊衝動を伴うように、破壊衝動は愛情を伴うのでしょうか。建築が好きな理由は説明できて、あの「ある目的」(これはオフィスビルなら経済的効率性、寺社仏閣・教会ならば宗教性の実像化)を達するために、あらゆる化学物質(木だってある意味化学物質ですよ)と物理法則を駆使して建てられた物体を見ると、ビルも教会も「理屈の塊」に見えるんですね。僕は理屈が好きなので、理屈の塊は大歓迎です。そして、あれほどに巨大な「理屈の塊」を作ってしまう人間の業の深さみたいなものも好きですので、そういうのに浸りながら建築を観ています。「理屈の塊」ではあるので因数分解はできるのだけど、そういうのは頭でわかった上で捨て置いて、ただ建築に浸ることも結構あります。

例えば、「教会の塔の高いところにあるステンドグラスってなんであんなところにあるんだろうか。観にくいよ。」と考えた時に、西ヨーロッパの気候において、石造りであれだけ背の高い密閉空間を作ると、寒暖差が激しい時なんかに教会の塔の上の方が霧がかることがあって、そこに太陽光によってステンドグラスの聖母像なんかがスクリーンされるようにあんな高いところにある。とか調べてみたりすると楽しくてしょうがないわけです。

 

…映画館の話どこいった???

とにもかくにも、僕はいろんな意味で映画館という空間や建築が好きなんです。

別に「映画は映画館で観てこそ、よさがわかる」という意見は否定しませんが、僕は映画館で観た数よりも、家のテレビやネットで観た映画の本数の方が確実に多いし、僕を映画好きにしたのは、『金曜ロードショー』『木曜洋画劇場』『日曜洋画劇場』(あれ?どっちもあったよね?)『土曜プレミアム』そして『午後のロードショー』です。そこで古今東西の名作・珍作・駄作問わず、映画を観まくったので映画が好きになりました。家の近くにTSUTAYAができたのもでかいです。つまり、僕にとっては映画好きであることと映画館には直接関係はないです。

まず暗い空間は好きですね、落ち着きます。その意味では古いビジネスホテル・ラブホテルみたいなあまり灯りを必要としていないホテルの部屋の暗さが好きなのと似ています。あとは知らない人と仲良くなるのに僕はだいぶ時間かかるのですが、すっからかんの映画館で客席にポツポツといる赤の他人と同じ映画を観て、リアクションを見せあってる、あのざっくりコミュニケーションも好きですね。ポップコーンの匂いとか、もう氷しかないコーラをすする音とかその辺もポイントです。あと、マジで観たい映画でない限りという自分勝手な条件付きですが、映画の種類によってはクソみたいなマナーのお客さんが集まりますね。ああいう掃き溜め感も僕は好きです。明け方の新宿や池袋の路上につながるものがあります。

 

まあ、映画の話というより、映画館の話になってしまいましたが、久々のロードショー映画評いってみよう!

 

パシフィック・リム アップライジング』

さてさて、今やアカデミー賞受賞監督に成り下がってしまった(?)ギレルモ・デルトロ。モンスターとロボが好きなオタクに映画作りの才能を与えてみた、神様の社会実験の産物たる映画監督です。彼が作った『パシフィック・リム』の続編が今作。デルトロはプロデューサーになり、スティーヴン・S・デナイトという人が監督やってます。僕は初めて見ました。

さて、前作では怪獣と巨大ロボットの格闘アクションものを本気で作った結果、想定の遥か上を超える感動を我々に与えてくれたパシリム。今回は…

 

つまらなくはない。

 

くらいの感じです。「パシリム1を継ごうとしつつ、新しい物語を作ろうとするとどうしても、ああせざるを得ないのはなんとなく理解できるし、次回作へ中継ぎもしたので、是非次はデルトロ再登板で!」って感じの映画です。これで終わってもいいんですが、これで終わるともはや今回なんのために書いたのかわからないので、僕が気づいた変なところを書きます。

①展開遅くね?

パシリムの一番いいところ(というかリアリティもへったくれもない設定な訳ですから、唯一追求すればいいところ)はロボと怪獣の殴り合いなわけです。巨大なものと巨大なものが武器ありの総合格闘技をやるとどうなるのかしら、という妄想を本気でやってみるところにワクワクする。ただ、この映画冒頭半分くらいがちょっと人間ドラマの方に軸足置いちゃってて、あんまりロボが出てこない。しかも、人間ドラマの登場人物が多すぎて、しっちゃかめっちゃか。そんなこんなでグダグダやってるうちに、怪獣登場バトルして終わり!って感じに見えてしまうので、損でしたね。

②なぜ東京なのか。

後半舞台が東京になります。日本にファンが多かったのでしょうか。興行的な意味ならわかる気がするんですが、日本は未来、いつから中国の自治領になってしまうのでしょうか。東京とされている街が、日本人がたくさん住んでる上海にしか見えなかったのですが。ビルの立ち方とか、都市としての東京の構造からすると不自然なんですね。あんなビル林立してて他更地とかたぶんならないです。

しかも、東京と富士山近くね?富士山見せたいのはわかるけど、あんなとこにねえよ。しかも、どうやったら太平洋とオホーツクと東シナ海から富士山を目指す怪獣の合流アンド迎撃ポイントが東京になっちゃうんだよ。おかしいだろ。太平洋とオホーツクはまだわかるが、東シナの怪獣、お前1回富士山素通りしたろ!

そして、なぜ東京の上で戦うことになっちゃうんですか。富士山の周りなんもないじゃないですか。サティアンできたくらいなんですから、そっちでやってくださいよ。怪獣とロボの殴り合いのリングに1000万人住んでる都市を選ばないでくださいよ。

中国企業の暗躍と活躍の半端さ

中国企業はアメリカ人にとって怖いものなんでしょう。スパイ映画でも昔ロシアが担ってた悪役を中国企業が請け負うことが多くなってきた気がします。ただ、厄介なのは中国人は13億人もいて、中国系を合わせたらさらに半端ねえ人数が観客としているわけなので映画作りはそこも考えます。

結果的に映画途中まで中国企業が悪い奴…と思わせて実はいい奴!的な展開にしたかったんだと思いますが、いい奴が女社長単独なので、属人的な問題にしか見えないといいますか、結果中国企業が全力を挙げ協力して怪獣を倒す物語というか、問題の根元の社長が自ら頑張って失点返ししてるみたいにしか見えないような…

 

この3点は気になりました。気になったけども、まあロボットと怪獣が戦っていさえすれば、そしてかっこいいBGMがあれば(鳴らすタイミング、すごくおかしかったけどね)、パシリムは満足できる映画ですので、みなさん、パシリム3をデルトロに再登板してもらうべく、観に行ってみたらいかがでしょうか。こけるとやらなくなっちゃうんで。