素人サブカル批評

草映画ライターとして映画評論。たまに他のサブカル評論。

映画バカ時報 2018.2.8.

 最近、映画館に行ってないです。

もっぱらタブレットが僕の映画館になっております。

 

さて、そんなタブレットで見た最近の映画をご紹介。

その前にふと考えたんですが、映画批評を本ではなく、ネットでやっている自分の場合、懇切丁寧にあらすじというものを説明するのって、批評自体に関係ないならば、あんまり意味ないなって思ったんです。だって、同じデバイスを使って検索すればいいですし。検索できない人はこれ見れないわけですし。というわけで、今後僕はあらすじを説明しません。なんか参考になるリンク(ロードショーじゃなければAmazonとかその辺)をはっつけて全てを済ませていきます。ご了承ください。

HTMLというモノの存在を知り、リンク付の画像をはっつけまくってみました。

なんかすごいことをした気分です。

 

攻殻機動隊 ARISE』シリーズ

 SFファンの一部からもはや信仰に近い支持を集める『攻殻機動隊』シリーズという一種の神話があります。元々は士郎正宗という人が描いたマニアックな漫画でした。

 

読んで頂ければわかると思うんですが、漫画というよりも小説に漫画がついてるだけなんじゃないかというくらい文字の多い作品です。1コマが文字で埋め尽くされているのはまだしも、コマ外に作者の独白というか、すごく悪くいえば知識のひけらかしと主義の辻説法が延々と書かれていて、読むのがとっても面倒な作品です。

ここまで毒づいておいて、言うのも心苦しいんですが、僕は結構好きです。

サイバーパンクというSFのジャンルの金字塔で好き嫌いはともかくとりあえず通っておかないといけない作品(小説だとW・ギブソンの『ニューロマンサー』的な)だと思ってますし、世界観も好きな方です。

 

さて、それをこれまた信者が多い押井守という人がアニメ映画化します。

押井調全面展開の作品で台詞の過半数が引用なんではないかというくらい、哲学者やら文学者の本来文字で認識して咀嚼しないと理解できない言葉が音声として次々インプットされるのでそれを理解する間にストーリーが進んでしまい、「いい映画だった」と言うのが困難な映画に仕上がっております。これも批判しながら言うのもあれなんですが、素晴らしい作品です。面白いかどうかは個人の感性次第ですが、後に多くのフォロワー(文学や哲学から引用や表現を引っ張ってきて、大人っぽい仕上がりに)を産んだということはある一定のラインを超えて支持されたという風に考えていいんじゃないかと思います。簡単に言えば「なんかかっこよくね?」って思える映画ってことなんですけど。でもSFって結構その「なんかかっこよくね?」を受容できるマインドがないとそもそも受け入れがたい分野な気がするので(すごくたくさん読んだり観たりすると、「SFという体をとった現代社会への警句だ」とか考えたりするし、実際そういう作品はあるんですが、それはSFというジャンルがそういうツールだからなのであって、SF=社会批判ではないです)、そこがいいところだと思います。

ちなみにですが、押井版を観た後に、多くの人が陥りがちなのが、「自分この作品の良さわかってる」という自己暗示とある種のアイデンティティの防衛反応で、「あの作品を評価できないということは、俺はバカということになる。そんなはずはないから、俺はこの作品を評価しているに違いない」という屈折です。

その屈折が「この作品を評価できないお前はバカだ!」という一種のカルトを産み、次に逆サイドから「作品を評価できてるふりしてるだけだろうお前は」というカルト批判が湧き出るという阿鼻叫喚の事態が発生します。カソリックプロテスタントが批判し、大論争を繰り広げてる時に「あれ、そもそも神っていたんだっけ?」という疑問を挟む余地がないように、この間に割って入ると火あぶりにされます。「神は死んだ」というのには時間がかかるんです。

 

さて、そういった経緯(経緯を説明した記憶がないですが)で、この攻殻機動隊シリーズというのは一種の神話になり、信者を獲得し続けるマシーンになったわけです。

その後

映画の続編や

 

アニメ版

 

最終的にはハリウッド版(スカヨハが出てればとりあえず観るという方はぜひ。まあ、いい映画じゃない-断じて違う-けど、VFXに使える金の量を考えると、実写化がハリウッドでよかったのかもしれないな、っていう出来です。)

など多くの副産物を産みながら、この新興宗教は広がっていきましたとさ・・・

 

危ねえ。批評の主題につく前に話終えるとこだった。

さて、『攻殻機動隊ARISE』は、この新興宗教団体が作り出した神話体系が新約聖書だったりコーランだったりすると、旧約聖書のようなストーリーです。

ごめんなさい、例えを間違えました。要は「みんなが知ってるあの!攻殻機動隊!誕生秘話!一挙公開!スペシャル!!!」ってことです。ほんとごめんなさい。旧約聖書ってそんな話なんでしたっけ。まあいいか。

攻殻機動隊シリーズは全部見ている自分としては、「へえそうなんだぁ~」という目から鱗の・・・いや、信仰に毒されている、そもそもこのお話は後付けであって、もともと想定していたモノではないので、「あ、そういうことにしたんだぁ~」が正解でした。

個人的なお話になりますが、僕が昔々映画館でアルバイトをしていた頃、この映画が定期4本立てくらいで上映されていました。客の入りがあんまりだったのを覚えております。

要はこの話、ある程度信者性が高くないと、そもそも面白くないできあがりになっております。なぜなら誕生秘話だからです。そもそものお話を知らないと、秘話のどの辺がマル秘なのかわからないわけで、そういう意味でこのシリーズはとっても不親切です。後のメインキャラクターが出てくると信者は「おぉ!」ってなるんですが、そのキャラクターをそもそも知らないと「・・・」と通り過ぎる設計です。

聖書を読み、教会に通っているものだけが得ることのできるエクスタシーです。

さて、いよいよ商売方法が新興宗教じみてきました。信者は信仰の証としてこの映画を観る、一方非信者が観に行くと「あれ、わからない???」ってなり、わかるためには聖書を買って教会(映画やアニメかな)に通い・・・泥沼式に信仰の罠にはまっていく、実にうまいシステムができあがっております。

 

ここまで書いてきてふと思ったんですけど、『攻殻機動隊』シリーズの一巻したサブテーマって「ネットによって個人が独立したと見せかけて、そのネットワークの中で個人が消滅して衆愚の塊になったとして」みたいなことだったりするんですが、この「泥沼信仰の罠商法」に嵌まっていく人間やそれにすでに嵌まっている信者達というのは、自分たちが個人的に好きで理解してこれを観ているという主観とは裏腹にもはや個人というよりはシステムに内包された個人になっているわけで・・・「もしや、チーム『攻殻機動隊』(Production I.G.ってとこがだいたい作ってます)の壮大な皮肉なのでは!?」ってなってきました。でも、「そういう皮肉なのではと思わせるというシステムなのでは!?」とぐるぐるぐるぐる同じところを回っていくアイデンティティというのもまた、「『攻殻機動隊』あるある」のシチュエーションなのでした・・・。

 

最近、文章を書く能力の陰りをまざまざと感じていて、これでこの記事がおちているのか、自信がほんとにないので、最後に蛇足を付け加えますと、仮にあなたが信者になりたい場合にオススメの信仰の手順は

①アニメ版×2(1話ずつが短いしわかりよいのでアレルギー反応チェックしやすい)

②映画版×3(1⇒2⇒イノセンスという順で観ると急性押井守中毒にならずにすみます ※2は押井ではないんで)

③漫画(なんかたくさん出ててよくわかんないから最初の1冊をバイブルとして買ってみよう。これで君も正規信者の仲間入りだ)

④ハリウッド版(まあ、このクソわかりにくい世界観から1回休憩しようじゃないか)

⑤ARISE(ここまで来ると、周りのみんなを勧誘し始める宣教師としての資格を与えられる)

という順番がいいかと思います。ちなみにもしあなたが信者になってしまったとして、僕は一切関知しません。

~もしかしたら、こうやって誘われて、アニメを見始めたあなたもシステムの一部になっているのかもしれませんよ~

 

おしまい。

(あれ、うまくおちたんじゃね!?)