素人サブカル批評

草映画ライターとして映画評論。たまに他のサブカル評論。

バカ映画時報第5弾

バックナンバー第5弾

 

デッドプール
なんか俄かに話題になっていたアメコミ映画を観てみた。
アメコミ映画をひたすらパロってディスってを繰り返すなんの生産性もないおバカ映画。スローモーションの使い方とか、なんかだいぶ古臭い気もするのだけど、内容の方向性が新しいのでいいのではないでしょうか、と。
アメコミ映画をよく知らなくても楽しめるけども、知っていた方が笑えるシーンが多い。
全く微塵も生産性がない映画を楽しく見れる人にはオススメ。
ついでに言うと、ブロンドツインテールジョーカー系メンヘラボインが人を殺しまくるアメコミ映画『スーサイド・スクワッド』も見たいと思っております。

 

シン・ゴジラ
さて、久々に邦画も観てみようかと。ディスる気持ち満々で見に行ってみたわけですよ。当然のことながら、ゴジラはほぼ全部見ている私にとって、期待度は道のちょっとした段差くらい低い状態だったわけですが、予想外にちゃんとできておりました。
監督なり、関わる人々のゴジラ愛を感じることができましたよ。
ただね、エヴァの人が怪獣映画を作ると聞くとどうしても、「使徒出てくるんじゃね?」とか思うじゃん。大正解。使徒が直接出てくるわけではないんだけど、ゴジラ完全に使徒なの。登場のBGMも含めて。笑っちゃうよねー。
でもまあ、ゴジラオマージュも多かったし、「現代日本にゴジラ来たらどうなるかな」というのを真剣に想像している感じがすごく楽しかったのですよ。続編は作らないで欲しいけど。

なんか、どちらの映画もうまく毒をはけなかったということはそれなりにいい映画だったのではないでしょうか。

バカ映画時報第4弾

バックナンバー第4弾

 

アイアムアヒーロー
なんか、好意的な論評の多い、漫画原作の実写映画見てみました。
基本的にはゾンビパニックものなのだけど、パニック感があんまりない。
ショットガンで10秒に1回吹き飛ぶ脳髄は一見の価値あると思うのだが、リズム感がない。あそこはコメディなのだから、クラシックでもポップスでもいいから、音楽かけて笑い飛ばす感じで行きたいよね。
ラデツキーかけながら、
ドーン!パシャー!ドーン!パシャー!
みたいな。
ゾンビ映画にかかわらず、ホラーはコメディなのだから、笑いは積極的にとりたい。
ストーリーに関しても原作をダイジェスト版にした感じで工夫はないし、ZQN(ゾンビ)も怖さが足らない。
唯一評価できるのは15禁とは思えないスプラッター描写とか殺し方がかました感じのところなんだけど、それにしてもなんで評価されてるのかわからない。

『スポットライト』
アカデミー賞受賞作品。山口でなぜかやってないので、帰省の折に見てきた。
これは皆殺しじゃなくて、普通に論評するけど、いい映画でした。
カソリックの神父様が幼児をズッコンバッコンしてた事件をスッパ抜いたボストングローブ紙の記者さんたちのお話。
緊張感も切れないし、音楽も上手くきかしてくるし、映画として良作なのはもちろん、「マスメディアってなんすか?」っていうところを突いてくる感じ。
ちょくちょく入ってくるヒューマン描写が中途半端で葛藤を描くならもっと描いて欲しかったし少し鬱陶しいというのはあるにしても、サスペンスとしても社会派ドラマとしてもいい映画だったと思う。

バカ映画時報第3弾

バックナンバー第3弾

 

『007 スペクター』
久々に聞いたよスペクター。往年の名悪役軍団だよ。
つまるところ、ポケモンロケット団であり、仮面ライダーのショッカーだよ。
でもね、ここで大問題。ストーリーほぼ覚えてないの。
たぶん、ボンド人を殺す→セックス→殺す→セックス→殺す→セックスという話なはずだ。というか、007シリーズはそれだけで成り立っている。暴力セックスの映画。
あとはガジェットね。最初はミサイル飛ばせて喜んでたはずなのに今やアストンマーチン型水陸両用戦車の様相ですよ。
007にはハズレはないと思うのね。
童貞が心躍るパンチ、おっぱい、メカが出てくるので100人切りでも心は童貞の諸君は要チェックだ。

 

『マネーショート』
ブラピ映画。ブラピはアンジーの影響によって社会的なことを考え始めたらしい。喧嘩クラブの精神的支柱として摩天楼に大規模テロを起こし、ラスベガスのカジノの金庫から巨万の金を窃盗していた人間とは思えない。
この映画でも時代を流すのに写真フラッシュでサブミリナル的にアメリカを批判する。この思考停止タイムの観客を洗脳する手段は数年前の『ジャッキーコーガン』から何も変わっていない。ついでに言えば、最後のセリフが異常に説教くさくて「それこいつが思ったことじゃないじゃん。ブラピの意見じゃん。というかもっと言えば、アンジーの意見じゃんか。」と思わせてしまうのが、この映画の良くないところ。

 

『オデッセイ』
ポテト!この一言で映画を語れる。
ポテトSFという新ジャンルを確立した今作。マット・ディモンはポテト愛で苦境を乗り切ります。
そして観客にポテトの魅力を刷り込み、鑑賞後にはポテト教の一員になっている。
蒸しポテト最強、ケチャップ最強。ついでに精神安定剤最強。
ポテトはマットを救う。マットだけではない。人類を救う。
ポテトは神だ。
というメッセージ性を感じざるをえない。
ただ、後ろの方でポテト神の影が薄くなるので少し寂しい。
その日の夕食?当然ポテトですよ。

 

『ヘイトフルエイト』
タランティーノ監督最新作。
タラちゃん西部劇を2連発してるね。
タラちゃんらしい、掛け合いとかテンポの良さは健在。
あと「痛い痛い痛い痛い!!!」ってなるタイプの暴力描写も健在。
でも、掛け合いという意味では掛け合ってるけども、掛け合いが中途半端になって、結果サスペンスの部分がおろそかになるという…まあ無意味な掛け合いのテンポ感を楽しめるタラちゃんファンの皆さんは見に行けば良いのではないでしょうか。

バカ映画時報第2弾

facebookバックナンバー第2弾

 

『TED2』
前作が大きな話題になった『TED』の第2弾。
前作よりもやや先鋭化したブラックジョークと下ネタは良い。
クソふざけた世界の中に社会性とか、同時期公開の某恐竜映画の1作目のパロディをぶっこんだりとやりたい放題。でも基本はふざけているので、ふざけた映画であることに変わりはないし、どんなに社会性を発揮しても、そもそも主人公テディベアだし。
コメディ映画は映画館の良さがわかるよね。みんなが笑うシーン、分かった人だけが笑うシーンなどがあってね。

 

ジュラシックワールド
ストーリーはない。なんちゃってヒューマンドラマとなんちゃって家族愛となんちゃってラブストーリーをやってる感じ。
ただ、そんなことは大した問題ではなく、この映画の主人公は恐竜なので、ダイナソードラマさえあればいい。
恐竜はリアルだし、戦闘シーンはそれなりに派手だし、海の恐竜最強だし、と恐竜が出てくるシーンだけ見ておけばオールオッケー。

 

進撃の巨人後編』
前編が最高だったから、少しは期待していったんだけど、ちょっと微妙に。
エロ・グロが皆無になって、バイオレンスがすごく小さな規模になってる。
なんかよくわからないほんわかラブストーリーが織り交ぜられた結果、全体として話が緩んでる。
そもそも巨人がほとんど出てこない進撃の巨人って…って思うのは俺だけなのだろうか。

 

『M:I: ローグネーション』
トムさん映画の新作。
トムさんの映画の条件として、
・トムかっこいい
・トム強い
・トムモテモテ
の3つを充していることが重要になってくる。トムかっこいいに関しては人それぞれだと思うので置いとくとして、トム強いに関してはトムの歳を感じさせる。そろそろアクションをノースタンドでやるとおじさんスピードになってしまっている。トムモテモテかどうかというと、振り回しに振り回した女スパイが最終的に大したロマンスもなく去っていくので、ちょっと分かりずらい。
話はスパイものなのでとてもワクワクするのだが、全体としてはトムおっさんになっちゃったよ、映画だね。

バカ映画時報第1弾

今は懐かし、2年前、facebookで始めた勝手に映画評コーナー

その第1弾。バックナンバー。


バケモノの子
細田守らしい家族の物語と夢のある世界観は良い。宮崎駿押井守の合いの子(失礼)のようなアニメ作りをしてくる感じ。
ただ一方で問題は登場人物が自分の気持ちを全部言葉にするので、なんかセリフが多い。
柳下毅一郎は「副音声映画」と言ってるけども、まあ映画つってもアニメだから、気にしないで見ればそんな気になんない。

進撃の巨人
まさか俺がこれを観るとは誰も思わなかったに違いないが、観てしまうのが田舎転勤者の絶望的なところ。
しかし!これまで観た日本のアクション映画の中では娯楽性に関してトップクラス!
エロ(童貞の妄想に近い)、グロ(多くの人間がミートソースになる)、バイオレンス(言わずもがな)の三拍子揃った素晴らしいB級超大作…矛盾してるが気にしない。
4巻まで漫画を買ってあまりのつまらなさに1度は庭で燃やしてやろうかと思った俺でも楽しめたので、なんの感動もないけど楽しい映画を受容できる心の広いシネフィルのみなさんも是非見に行っては!

ピクセル
・ストーリーがない
・売りのゲーム描写がしょぼい
・アメリカ的ハッピーエンド
というクソ映画の博覧会のような映画。
『インディペンデンスデイ』を大してゲーム愛のないオタクが莫大な予算をかけてリメイクしただけみたいな感じ。
これを観るなら、同じ金額をドブに捨てて散歩してた方がいいと思う。

ふっかーつ

このブログの存在をすっかり忘れていた。

いろんなところに草映画ライターとして、素人映画評を書いているのだが、

facebookにぼけっと書くこともあれば、友達が出してるミニコミ的な本に破格のお値段で(ビールジョッキ2杯弱かな)出すこともある−

なんならここに書けばよかったと思っている。こっちの方が多分読みやすい。

そして、なぜか一部に割と好評なので、バックナンバー化しといたら、例えば飲み会がつまらなくて長くトイレに篭っていたい時とか、そういう時の暇つぶしになるかもしれない。あれだ、トイレットペーパーに落書きがあって、それを読むのと同じ感覚だよ。

まあ、自分にそんなこと起きたことないんだけど。

 

誰も読まなくても結構結構。

俺が読むからな!

 

さあさあ、バックナンバー化を始めよう。

新作もこっちに載せてくから、数少ない購読者の皆さんは要チェックだ。

 

第3回『時計仕掛けのオレンジ』~ある作家の復讐~

今回取り上げるのはスタンリー・キューブリックの名作『時計仕掛けのオレンジ』。

映画公開は1971年ですが、原作は1962年出版の同名小説です。作者はアンソニー・バージェス

舞台は近未来(当時から見て)のロンドン。アレックスは仲間4人と不良グループ、「ドルーグ」を作って、日々暴力行為(彼らの言うウルトラ・バイオレンス)を繰り返していました。

路上で寝ていたホームレスを棍棒でボコボコにしたり少女をレイプしようとしていた他の不良グループを襲撃して棍棒でボコボコにしたり、作家の家に押し入って縛った作家をジーン・ケリーの主演作『雨に唄えば』のテーマ曲を歌いながら蹴りつつ、妻をレイプしたり、やりたい放題です。

こんなひどい行為を繰り返すアレックスですが、その描き方は実に魅力的です。自由気ままに発言をし、不良少年を率いていても、かっこいい服を着こなし、ベートーベンをこよなく愛します。奔放な発言とファッションセンス、カリスマ性と音楽的才能はロックスターのようです。キューブリックはここまでの描写でアレックスをわざと魅力的な主人公として描き、観客が彼が暴力行為から感じる快感を共有させようとしています。ここで言いたいのは「ほら、人間なんて、みんな根源的には暴力的なんだよ」ということでしょう。

ここまでの描写でもう一つ、特筆すべきことがあります。それは「ドルーグ」とアレックスたちが襲撃した不良グループ(「ビリーボーイズ」だったかな?)の服装です。

「ドルーグ」はイギリスのトラディショナルスーツのようなものを着こなし、ステッキを持っています。「ビリーボーイズ」はナチスの制服のようなコスチュームです。これは1960年当初イギリスで一種の二大流行となっていた「モッズ」と「ロッカーズ」の対立のメタファーとなっています。「ドルーグ」は「モッズ」で「ビリーボーイズ」は「ロッカーズ」です。この当時の「モッズvsロッカーズ」の構図は『さらば青春の光』という映画で詳しく描かれています。ちなみに『さらば青春の光』はモッズを代表するロックバンド、ザ・フーのアルバム『四重人格』をもとにザ・フー自身が作った映画です。つまり、この作品の舞台となったロンドンは近未来とは言いつつも出版当時のロンドンなわけです。もう一つ近未来じゃなくて現代であることが示唆されるのが、「ドルーグ」に棍棒で殺されるホームレスの「なんて時代だ。人類は地球の周りを回り、月まで行ってるのに誰も地上の秩序には注意を払わないんだ。」という言葉です。アポロ11号が月に行ったのは映画公開の2年前1969年のことです。この表現も「現代です」というメタファーと言えるでしょう。

ちなみにアレックスのしたいこと「レイプ、薬(ドラッグ入りミルク飲んでる)、暴力」は出版当時の若者たちが実現します。それが「セックス(=レイプ)、ドラッグ(=薬)、ロックンロール(=暴力)」ってやつです。

 

これまで順調に暴力を楽しんできたアレックスでしたが、ちょっとした軋轢から仲間に裏切られ、強盗を失敗した挙句、男性器の形のモニュメントで老婦人を殴り殺した上で警察に捕まり、刑務所に収監されます。ちなみに男性器というのはアレックスの性欲を象徴しています。レイプするときにつけるお面の鼻、CDショップでアレックスがナンパした後3Pする少女が舐めてた飴など、アレックスの暴力や性行動にかかわる場面に登場します。ちなみにアレックスを保護観察している男も「よい子にしてたか?」と聞きながら、彼の性器を握ります。「よい子」の主題はそこにあるわけです。

しかし、その刑務所を訪れた内務大臣に見いだされてルドヴィコ治療という治療を受けます。これはオペラント条件付けと言われたネズミの実験(レバーを押すと餌が出る仕組みをネズミに与えると、餌が出なくてもレバーを押し続ける)を人間に応用するものです。まあ、わかりやすく言えば、有名な「パブロフの犬」を人間にも適用できるだろ、ってことです。不快感を与える薬を投与しては無理矢理暴力の映像を観させ続ければ、暴力を不快に感じるようにさせるという治療であるルドヴィコ治療をアレックスは受けます。彼が見る映像にはナチスの大量虐殺が映っているようです。彼の暴力なんて国家の力が総動員された暴力に比べれば、しょぼいもんだったわけです。

治療の結果、彼は暴力を不快に感じるようになりましたが、治療中にベートーベンもかかっていたために副作用でベートーベンも嫌いになってしまいます。彼はどこにいっても居場所がなく、あんなに魅力的だったアレックスは惨めに描かれます。生気がなく、国家によって統制された彼はまさに時計仕掛けのオレンジです。時計仕掛けのオレンジ a clockwork orangeはコックニー(ロンドン下町言葉)で「張り合いがなく、バカみたいな奴」という意味です。ちなみにバージェスはフィリピンにいたことがあり、現地語でorangは人を表します(ちなみにオランウータンorangutanは「森の人」という意味)。そのことから、a clockwork orangeは時計仕掛けの人間という意味を持つという説まであります。

これはキューブリック(そして、バージェス)の「どんな暴力も国家の飼い犬のようにされることに比べたらマシだ」というメッセージかも知れません。

 

しかし、話はこれで終わりません。昔の仲間にいじめられたアレックスはとある家に逃げ込みます。その家は彼が逮捕前に押し入って妻をレイプした作家の家でした。レイプ後、彼の妻は自殺し、作家は半身不随になっていました。アレックスはルドヴィコ治療のことを作家に伝えます。その作家は人権擁護派なのか、アレックスを担いでルドヴィコ治療反対キャンペーンを開こうとします。アレックスはレイプの時お面をかぶっていたので、作家は目の前のアレックスが犯人だとは気づきません。

しかし、アレックスは作家に風呂を貸してもらって入ってるとき、『雨に唄えば』を口ずさんでしまいます。作家は気づきました。彼は真犯人だと。

作家の復讐が始まります。彼はアレックスに無理矢理ベートーベンを聞かせて拷問します。なぜ、この作家は復讐するのでしょうか。「人間は暴力的だが、国家の暴力に比べればそんなもの…」というメッセージは伝え終わったはずなのに、なぜバージェスは続きを書いているんでしょうか。

それはこの作家の妻がレイプされる事件はバージェスの実体験だからです。二次大戦中にバージェスの妻は駐留米軍からの脱走兵である若者にレイプされています。彼の妻は自殺していませんが、一生そのことに悩んでいくわけです。

この原作(映画もある程度忠実)は前半は彼の国家への強烈な皮肉を込めたディストピア小説ですが、後半は彼自身の復讐なんです。事実、アレックスが最初に作家の家を訪れた時に彼が書いていたのは"A Clockworks Orange"、つまり『時計仕掛けのオレンジ』です。バージェスでさえ、復讐という暴力の欲望には勝てないということも表したかったのかもしれないですね。事実、作家がアレックスを拷問しているときの作家の顔は、アレックスの不良時代、彼がウルトラ・バイオレンスを実行しているときのように、恍惚としています。

 

作家に拷問された彼は窓から飛び降りますが、一命を取り留めます。

病院に入院している彼はもう暴力にまったく嫌悪感を抱きません。彼はルドヴィコ治療から「完治」したわけです。そこへあの内務大臣が訪ねてきます。彼は悪名高きルドヴィコ治療からの復活者という英雄として、アレックスに政権支持率の回復への協力を要請され、アレックスは快諾します。快諾した彼にプレゼントとして大音量のベートーベンが届けられますが、彼はもう不快感を示さず、レイプの想像とともに、恍惚としています。彼は完全に元のアレックスに戻ったわけです。

なぜ、彼は自分をあんなにひどい目に合わせた内務大臣の申し出に協力するんでしょうか。答えはこの作品の中にあります。人間は根源的に暴力を好むもので、その権化がアレックスです。つまり、「アレックスがしてること、みんなも実はしたいんだろ?」ってことですね。アレックスは持前のカリスマ性を動員してタレント議員にでもなるんでしょう。彼は、個人レベルの暴力には飽き足らず、国家レベルでウルトラ・バイオレンスを実現するでしょう。何しろ、彼自身が、国家の暴力の体験者なわけですから。

なぜこんなやつが国会議員になれるのかって?

日本にも、レイプ事件を起こすもとになった小説書いた奴が都知事から国会議員に復活したり、少女買春したやつが国会議員になったりしてるじゃないですか。

 

(おしまい)

 

【参考映画】

『時計仕掛けのオレンジ』―1971年/ワーナーブラザース

『雨に唄えば』―1952年/MGM

さらば青春の光』―1979年/ザ・フー・フィルム

【参考文献】

『〈映画の見方〉がわかる本』町山智浩著/洋泉社