素人サブカル批評

草映画ライターとして映画評論。たまに他のサブカル評論。

映画じゃないバカ時報 音楽編〜ロックはUSとUKとJだけで分類しちゃダメだよ〜

長らく、チミチミと誰が読んでるか不明なまま、映画についてお話ししてきたわけですが、「映画は観るのに時間がかかる。このままでは読者を逃してしまう!」ということで、映画とは全く関係ない(とはいえ私の感覚の中では地続きの趣味)である音楽について評を書いてみようと思います。

 

が!!!

僕は楽器はピアノやらギターやらトランペット、バイオリンなど弦楽器などなど、ほんと手遊び程度に(ほんと!)弾けたりするものもままあるものの、

〜なぜならうまい人がいて俺が教えてよって言ったら少し教えてくれたから、世界は親切な人に溢れてる〜

何かバンドやってたわけでもないし、なんなら読譜はフランス語くらい苦手です。TAB譜は英語くらい苦手です。

およそ15年にわたって古今東西の映画に金を使い、神保町で映画理論・映像理論・監督論などなどの古い映画本を買い集め、今もたまに衝動買いに近い形でイギリスやアメリカの芸大生が使う教科書を買い込んでは、破産寸前の状態になるほど熱量を注いできた映画のように自信を持って語ることができない。

なぜなら音楽理論はわからないから。

 

と、いうことは、評することはできないの?

いや、諦めちゃいけない。評論はできなくとも、評することは感性でできるはず。

という淡い期待と、怖い音楽好きな人たちに血祭りにあげられる恐怖を胸にこれを書いています。

 

さて、理屈ではなく感性で、ロジックではなくエモーションで音楽評を書くとなると、

『僕が好きなレコメンドバンド選』しか手段が思い浮かばなかったんですね。

ということで、僕が好きなバンドを考えてみようと思ったところで、ジャンルを考えないといけない。

僕はロック、ジャズ、ブルースからEDM(エレクトロ好きな皆さんごめんなさい、EDMはエレクトロの中でもサブジャンルでしかないということは存じております、わかりやすいので便宜上)、果ては…なんとクラシックまで聴きます。

一応、カラヤン指揮のオケの演奏の他の指揮との目立った特徴とか、ゴシック、ロマンなどの違いくらい、あとは体系化してないものの、好きな曲はいくつもあります。

 

と、いう中で今回選んだのはロック(ロックと名のつくジャンル全部な)。

しかもその中でもUKでもUSでもJでもない、日本に届きにくいロックバンドのおすすめ評です。

つまり、「ロックの第三世界を開拓しないか!」評です。

今回はデンマークオーストリアポーランド、ブラジル、南アフリカです。

アジア編とかはまたやります。

 

主に2000年以降デビューでおすすめしていきますよ。では行ってみよう!

気に入ったらディグってね。

 

デンマーク

▼Communions(2014〜)

さて、2017年に待望のデビューアルバムを出し話題になっていた、このバンド。コペンハーゲン出身のバンドでIceageのチルドレンとも。

音楽は当時評された通り、The Libertines×The Stone Rosesサウンドだったりします。

発表曲はそんなに多くないので聞いてみてください。

最新EPから

Flesh and Gone,Dream and Vapor

 https://youtu.be/QrFNv-xfYh0

 

南アフリカ

▼KONGOS

こちらは南アフリカの国民的シンガーソングライターKongosさんの4人息子が結成したロックバンド。ミクスチャー系でビートルズの影響も感じつつ、グルーヴはアーシー(earthy)だと言われています。

どの曲もグルーヴが好きですね。アフリカの地が(血がじゃねぇぞ)そういうグルーヴを生み出すんですかね。

代表曲

Come with Me Now

https://youtu.be/Gz2GVlQkn4Q

 

オーストリア

▼The Grates

女性ボーカルのダンスポップロックという感じのバンドです。

発掘に至る過程での発見なのですが

オーストリアはハード、メタル系がなぜか盛ん

②PVが前衛的

です。聴きやすいかな、と思います。

代表曲

Turn Me On

https://youtu.be/P7C52UlwiNI

 

ポーランド

▼The Kurws

ポーランドに皆様どんな印象があるでしょうか。ポーランドシーンを僕がディグした時に思ったのは、「おい、どんな国だよ」

でした。前衛的なジャズやロックの宝庫でございます。

ただここで紹介するのはThe Kurwsです。

ガレージパンクという感じの曲調で好きな人は好きかと。僕は大好きです。

紹介するのは前衛的でもある

Lech Walesa

https://youtu.be/-CiokQwDNzU

 

○ブラジル

▼O Terno

ブラジルのロックバンド。3ピースなのでシンプルな曲調で多くがラテンのリズムがしっかり根底にある、って感じです。

曲の割にPVがシリアスだったりします。

Culpaをご紹介

https://youtu.be/d1lhO06z_YM

 

さてさてみなさんいかがでしたでしょうか。

世界は広いですね。

僕は音楽評は2度としたくないです。

辛すぎる。ではでは。

 

映画バカ時報 2019.4.8. 「強めのファンは文化を殺す」

お久しぶりです。

およそ8ヶ月ぶりの更新。

この間色々なことがありました。

血尿が出たり、吐血したり、肝臓に腫瘍が見つかったり。ほんと内臓がいかれると、大したことなくても重病になった気がします。

この半年、僕にはツキが回ってきてない気がしてならないです。今も若い夫婦が住む私の隣の部屋では「カズコさん」という「綺麗な女性」に関する「LINE」を巡る、なんらかの(まあたぶんゲスの極まる、アパ的な、Morningから連想されるアイドルの後藤さんも最近経験したアレだと推測されるのですが)問題に端を発して、阿鼻叫喚の事態が、そろそろ眠りにつこうかという今勃発しています。

 

というわけで、最近あまりロードショーものを観れていない私はここで、カズコさんの問題の収束まで過去観た映画を思い出しながら映画評を書いてやろうとしています。

 

 

お題は「強めのファンは文化を殺す」です。

よくあるパターンですよね。

インディーズバンドがメジャーになった時のお局ファン。

サッカーとかもそうですね、よく起こります。

当然映画にも起こるわけです。

パターン1

「映画好き」名乗れるか論争。

これはよく僕が巻き込まれるやつ。確かに僕は並みの映画好きより映画を見てる本数は多いと思うんですけど、たくさん映画を見ている人がより映画好きかはわからないですよね。そんな、株主じゃあるまいし。金出した分は認められたいのはわかりますが、「○○=僕の前でよく映画好きって言えるな」ってあたかも俺がマウンティングする人みたいに言わないでください。

パターン2

「あんな映画は映画じゃない」

これ本気で言う人も結構います。「映画を冒涜している」とか言い始める人。映画を冒涜とか、映画史をちょっと学べばあんまり言えることでもないんですよ。もともと映画は見世物小屋(ところで、これ言う人『フリークス』ちゃんと観た?)の興行主が牽引して盛んになった文化なんですね。映画は基本的に映画館でやってれば映画だと思います。なんならVシネマとか、テレビ映画という文化もあったわけで、もはや定義は「1本の映像作品としてまとまった映画を名乗るもの」程度でしかない気がします。

最近はNetflixだった映画賞出してるわけで、映画のいいところはその懐の深さというか、世の中にある汚いものも綺麗なものもアートなものも娯楽なものも良いものもクソなものも全て飲み込むところな気がしています。

だから、僕はたまにここでクソ映画論やってるわけです。なんでこんな映画作っちゃったんだろーなーとか考えながら見るのもまた楽しいじゃないですか。そりゃ、嫌いだし、お前映画なめてんの?とは思うこともありますけど、映画ではある。映画なんて大したくくりではないですよ。

パターン3

「映画は映画館で見なきゃダメ」

これをしたり顔で言う人がいると僕はドロップキックをしたくなります。確かに映画館で観るとより良い映画はありますね。最近だと『ボヘミアンラプソディー』とか。ライブエイドのシーケンスとか、あれはやっぱり大画面大音量高音質で体感したいものではあります。

が、映画って高いんですね。最近1900円のところあるし。ストーリーを楽しむのであれば、どんな映画もテレビで観れると僕は思います。トイレも自由に行けるし。なんなら夕飯食いながら見れます。映画好きな人たちは最初に感動した映画が午後ローとか金ローとかだったりしないんでしょうか。僕は最初に感動して「映画はいいな!」と思ったのが10歳くらいで観た『スタンドバイミー』だったんですけど、確か木曜洋画劇場でした。その感覚は大切にしていきたいと思います。「気軽に感動する、これも映画のいいところ」。はい、これスローガンね。

パターン4

「○○監督はメジャーに魂を売った」

はい、これも厄介です。バンドに通ずるものがあります。最近だと、新海誠の『君の名は。』。新海誠は確かに『秒速〜』とか『言の葉の庭』の作家性が本来のものだと思います。

ざーっくりいうと「運命の否定」って感じ。

出会いそうで出会えない2人が最後までやっぱり出会えない、というストーリーが多めではあります。ただ、『君の名は。』は別にミニシアターでファンの皆さんがオフ会感覚で観るために作った映画ではなく、あの東宝さんが結構なフルスイングで作った映画なので、インディペンデント映画ではないんです。

メジャーの娯楽映画が悪いなんてことは絶対なくて「『君の名は。』『シンゴジラ』売れたぞ!もっと売れるメガヒット映画作ってやろう!」って東宝の人が思ったら、日本映画界にとってはラッキーじゃないですか。

東宝東映・松竹なんて、不動産会社になりかけてたんだから。

そもそもインディペンデントでああいう良作を作り続けられる才能の持ち主がインディペンデントしか作らないのは文化産業の損失ですよ。

僕は確かに昔から見ていたから『秒速五センチメートル』とか好きです。業が肯定されている映画で好みでもある。ただ、やっぱりそれとは別にマーベル映画も楽しいし、シンゴジラも君の名はも楽しく観ましたよ。映画がもたらすものは喜怒哀楽全部です。

 

夫婦喧嘩が収まるまで書き連ねてみました、この映画評(というか映画論の批評)如何でしたでしょうか。個人的にはあんまり面白くない文章を書いてしまって、死にたくなってんですけど、まあここに書いた映画好きはところを変えていろんなところにいると思うので、写真とかスポーツとか色々趣味でやってること、好きなことで出くわした時には「そもそも、そんな大したもんだっけ?」って引いてみてあげてください。たぶん、今までうるさいコアファンだと思ってた人がただのうるさ方だと気付けるんじゃないかな、と。

 

夫婦喧嘩は収まりませんが、この辺で。

なるべくたくさん更新したいんですが、ロードショー観れてないのと、みんな待望クソ映画評がなかなか手が伸ばせてないので、令和元年はもうちょっと頑張って更新していきたいです。

読まれてるのかわからないんだけどね。

みんな読んだらレスポンスプリーズ。。。

映画バカ時報 2018.8.22. 「世の中にはいろんな映画がある2:クオリティを下げるプロ意識」

出張中映画館の近くに住んでいることもあり、絨毯爆撃のようにロードショーを観ています。そんなシリーズもの-前回から1ヶ月経ってしまった-の第2~5弾を一気にいきます。

 

2作目は『ミッション:インポッシブル フォールアウト』

トム・クルーズ映画の最新作。

トムさんは基本法律が許す範囲内でスタントマン無しで演技をすることで知られています。「自分を観に来ているお客さんもいるのに替え玉は申し訳ない」といったり 、「スタントマンが自分のために事故に遭うのは可愛そうだ」といったり、プロ意識が高い逸話として有名です。

さて今作・・・というか前作からなのですが、御年56歳のトムさん、またもほぼノンスタントでスパイアクションに挑んでおります。それが最大の問題点。

スパイアクションというのはアクション映画の中で特殊な部類で「スーパーマン性」のようなものが求められます。戦争映画だと人間の限界を意識した上でのアクションというのがリアリティにつながるわけですが、スパイものはリアリティを追求すると『裏切りのサーカス』のような淡々としたドイツ映画チックなものができあがってしまいます。だからこそ『裏切りのサーカス』はいいわけですが、「インポッシブル」といっているのに、リアルにしたら、もうわけわかんないわけで、当然シリーズの主人公は超人になります。

今作でも超人ぶりは発揮されていて、ビルの上を飛び回ったり、岩を登ったり、バイクで対向車の間を猛スピードで走ったりと人間の限界は主人公にはありません。爆発炎上間近のヘリを20分にわたってノー故障のヘリと同じ速度で飛ばし続けることにいたっては、もはや人間どうのというよりは物理法則を超えている感すらあります。

けれども、いくら主人公は人間を超越しているといっても、トムさんは人間なわけで若いアクション俳優とどつきあいをすると、どうしてもスローモーションになってしまいます。この映画シリーズはトムさんの製作プロダクションが権利をもっているので、誰もトムさんには逆らえません。殺陣のシーンなんて観ていたら、段取りの確認にしか見えないんですが・・・。

まあ、トムさんの肉体的な老化が悲しみと共に漂う以外はいい映画だと思います。ここでいういい映画というのは作品の完成度云々ではなくて、「期待しているモノがスクリーンにあるか」ということです。トムさんがいくらスロモーになってしまっていても、トムさんが元気であることが確認できる。それがこの映画の価値なのです。

映画バカ時報 2018.7.26. 「世の中にはいろんな映画がある1:さよなら、僕らのダイナソー」

出張で東京にきております。

東京出身なので「会社の金で帰省できたじゃん」とか言われたりするのですが

僕は実家が苦手な人なので仕事場から30分ほどの実家ではなく、仕事場から15分ほどのマンスリーマンションで暮らしております。

東京に来て、仕事は忙しいのですが、働き方改革のため、土日が休みです。

マンスリーマンションの部屋はどこか北欧の独房という感じの部屋で、心が荒むので、映画を観に行ったり、配信メディアで映画を観て過ごしております。

 

東京出張も早2週間強になりまして、観た映画が新旧併せまして10本強。

書くにたる映画3本(クソ新作・優秀な新作・旧作で初見)がたまりましたので、

映画評行ってみよう。

長く書くと疲れちゃうので、3回のシリーズ物「世の中にはいろんな映画がある」としていきます。

精神安定剤代わりに書くけど、ネタバレに留意して書くほどには暇ではないので、観たい作品がある人でネタバレに「ネタバレ!」って思っちゃう人は読まないで。

 

『ジュラッシク・ワールド/炎の王国』

今は昔、スティーヴン・スピルバーグという天才が全世界の子供達に「恐竜っているんじゃね!?」って思わせるほどの執念で作り上げた、

『ジュラッシク・パーク』シリーズ。

ジュラシック・パーク』『ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク』というスピルバーグが作った2本の監督作。登場人物が地続きの別監督作品『ジュラシック・パークⅢ』。「そして誰もいなくなった」『ジュラシック・ワールド』。

そして、早くも第5作目となりました、今作の『ジュラシック・ワールド/炎の王国』。

製作総指揮という名義貸しシステムで名前は出ていますが、もうスピルバーグの映画というわけではなくなってしまったなぁ、というのが率直な感想ですね。

 

スピルバーグって怪獣(ジョーズとか、まあ恐竜も怪獣だよね)とかエイリアン(未知との遭遇)とか、映画全体で見たら敵役に当たるクリーチャーたちに対人間以上の愛を込めて描くというのが、映画の特徴としてあると思っているんですけど、この映画ではもうほとんど恐竜愛なんてなくなってしまった。

恐竜檻の中に入ってるし、なんか『ジュラシック・パーク』で実景風の景色をバックに恐竜が闊歩していて、「ウワァ!」というあの感動はどこへやら…

今の少年少女はもうびっくりしないんだろうか。それでも映画館で巨大スクリーンであれ見たら(『ジュラシック・パーク』は1993年の映画なので、僕は再上映で観ました)、「オォォォ!」ってなるのが永遠の少年心なのでは。

 

1作目でジュラシックパーク作った、杖の先に琥珀つけてるおじいちゃんいるじゃん?

あれの友達でほとんど同じような奴が今回出てくるんだよ。

ちょっと精度の低い『スターウォーズ』新始動スタイル。

で、そこまで同じである必要はないと思っていたのだが、殺されちゃうんだよねえ。

何、流行ってんの???

スターウォーズ』新始動スタイルのことを「スターウォーズ・キリングマシーン」って僕は名づけたい気分だよ。

しかも、琥珀のじいちゃん、ちょっとスピルバーグに似てて、「これはスピルバーグ殺し?親殺し的な?」と思ってしまったのだよ。

いいのか、スピルバーグ!お前、監督に殺されてる映画の製作総指揮してるぞ!

 

というスピルバーグのファンとしての哀愁を放って、映画を観たとしても

この映画クソなんだよね。もうね、できの悪いゾンビ映画の類だよ。

遺伝子工学で恐竜が生き返りました!という時点でまあゾンビっちゃゾンビなんだけどそれはさておくとしてだ、もう恐竜が人間が裸で戦うのはまるで無理なモンスターというのを超えて、バイオハザードの次元…恐竜は冒頭こそ、かわいそうな存在として描かれるけど、それ以降は完全な悪者。

観終わった感想は「なんだこれ?」。人間も出てくるやつ出てくるやつ全員醜いやつというか、「殺されちゃう!!!」って心配するより、「よっしゃ、Tレックス、全員食っちまえ!」って気分。

ジュラシック・パーク』は娯楽大作でありながら

・最新鋭映像技術とアナログな特撮撮影を織り交ぜてリアル感を出した恐竜をスクリーンに復活させた

・人間が好き勝手に生み出した恐竜はカイジュウだが、あくまで悪者ではなくて、生態に基づいて行動しているにすぎない。ある種共感できる登場人物のメンバー。

・そこにある人間のエゴに気づけない人間はことごとく死んでいき、気づいた人間は生き残るというメッセージ

・ラストも人間は逃げ切ったし、恐竜たちも人間が作った檻から自由になったという爽快感をもたらす、全編を貫く、スピルバーグの人間愛

が織り交ぜられていた。それはどこへ。僕たちのダイナソーたちはどこへ。。。

 

こんな、クソ映画最初からクソだとわかってて、なぜこの映画を観に行くのか

それはね、最初に「オォォォ!」ってなってしまった自分が忘れられないからでもあるし、最後まで観届けようと思っているから。

だからいいな、1作目に感動した少年・少女だった君たちもこの煉獄からは抜けられないんだぞ!絶対見に行けよ!

 

最後に一言

 

「さよなら、僕らのダイナソー

 

 

映画バカ時報 2018.5.14. 「肝機能障害とハリウッド映画の思い切りと日本映画のノスタルジー」

G.W.前半を39.5度の高熱と共に満喫しました。

休日診療に駆け込んだ医者には初回に

「3日経っても治らなかったら、インフルですね」

とG.W.が療養生活になる可能性を示唆され、

2回目はインフルでないことが検査でわかった代わりに

「あと3日経っても、このままなら血液検査だね。たぶん肝機能障害」

と、この歳にして、生活習慣病というとんでもない可能性を明るく宣言されました。

3日経っても、完治はしなかったですが、知らない方がいいことは知りたくないので、

医者に行くことはやめてみました。

「花粉症は花粉症だと思ったら花粉症」というのが家訓なので、

「肝機能障害は肝機能障害だとわかってからが肝機能障害」という解釈をしたいと思います。

 

さてさて、G.W.後半から、先週にかけ、久々の新作映画ラッシュをしてきたので、

肝機能障害のことは忘れて、ロードショー評3本立ていってみよう。

 

『レディ・プレイヤー1』 スティーブン・スピルバーグ

スピルバーグの新作。アメリカの批評サイトRotten Tomatoesで6.9点なのでおおむね高評価です。

2045年。オアシスという名前の仮想現実が庶民の心のよりどころになった時代。オアシスの創設者が莫大な財産とオアシスの運営権を仮想現実内に隠して死に、それを巡る争奪戦に参加した若者が巨大な陰謀に巻き込まれていくというストーリー。

スピルバーグというのはほとんど一貫してSF映画監督なんですが(たまにユダヤ人であることを思い出します)、彼にとって映画というのは仮想現実みたいなもので、ユダヤ人の上に読字障害でいじめにあい、挙げ句両親が離婚という、少年時代を送ったスピルバーグ少年は映画の夢の中に逃げ込むことで自分を守り、人生を作り、成功した人物なんですね。その意味でSFというフィクションの中のフィクションは彼の得意分野です。スピルバーグのすごいところは成功しても、その「いじめられっ子マインド」といいますか、ある種の童貞オタクマインドを失わないところにあって、『シンドラーのリスト』とか『プライベートライアン』を撮っても、やっぱりSFに戻ってきます。

『ペンダゴンペーパーズ』とほぼ同時並行でこれ撮ってるわけですから。

スピルバーグの社会派映画は迫力もドラマ性もメッセージ性も素晴らしいのですが、やっぱり僕はスピルバーグのSFが好きです。

この映画の主人公の少年は仮想現実でしか活き活きとできない、スピルバーグ少年みたいなキャラクターで、オアシスの創始者はもはやスピルバーグです。

この映画はスピルバーグが幼き日のスピルバーグ少年に「それでいいんだよ」と語りかけるような構造になっているわけで、そう考えるとほっこりします。

あんまりかっこよくないオタク少年が仮想の世界で美女と会い、現実の世界でも結ばれるというところに、スピルバーグ少年の童貞の妄想を感じます。

それは香ばしいんですが、妄想を現実にするのが映画のいいところであるからして、スピルバーグの強みが全て凝縮されたような作品です。

ちなみにこの映画はクロスオーバー祭りになっていまして、過去の名作のパロディがたくさん出てきます。親日家(というか日本文化オタク)のスピルバーグらしく、日本の作品もたくさん出てきます。

この映画のパロディ部分をどこまで察知できるかで、あなたのスピルバーグ度がわかるかも?です。

 

アベンジャーズ/インフィニティウォー』 ルッソ兄弟

ルッソ兄弟というのはマーベル専門型コーエン兄弟のようなものです。

嘘です、コーエン兄弟の方がすごいと思います。

まあでも、次回作も含めマーベル映画を5本も撮ってるわけで、得意分野だと言えます。『ウェルカム・トゥ・コリンウッド』の頃にはこんなことなかったんですが・・・。

さて、本作。アベンジャーズがありすぎて、もはや何作目なのかよくわからなくなってきております。アベンジャーズシリーズを中心として、2000年代から勃興したマーベル映画の抱える問題点があります。派生作品でキャラクターを増やしすぎました。

いや、アメコミとしてのアベンジャーズはヒーロー全員参加型のチームなので本来的には別に間違いではないのですが、やっぱり映画というのは2~3時間の中でストーリーを起こし、終わらせる、という性質のものなので、あまりにキャラクターが増えすぎると、それだけで話が終わってしまいます。

キャプテン・アメリカマイティ・ソー、アイアンマン、ハルク、スパイダーマンまでならわかる。

ただ、これに加えて、ロキ、ブラック・ウィドウ、ファルコン、ドクター・ストレンジ、ウォーマシン、ホワイトウルフ、ブラックパンサー、ガーディアン・オブ・ギャラクシー軍団(計5名)、ヴィジョン、スカーレットウィッチが登場。

しかも、敵がサノス・・・とその一味という大所帯。もう登場人物何人いんだよ、というてんやわんやのお祭り騒ぎ状態。

そこで、今回、大規模リストラが敢行されます。きっとマーベルの誰かが気づいた。「やってらんねぇ」と。

なにがどうしてどうなるか、は、言ってしまうと、この映画を観る人が可愛そうなので、あまり言いませんが、予告にある通り、アベンジャーズは危機的状況に陥り、キャラクター間引きが行われます(たぶん、グッズ売れなかった順・・・資本主義だな)。

ハリウッド映画ってすげえなあと思うのは、リストラなんて、冒頭の10分くらい使って、「てな感じで、人数減りました。よろしく!」って吹っ飛ばしちゃえば、雑ではあるけども、まあ成立するのに、巨額のマネーを投下して、VFX祭りをしながら、リストラを1本の作品にして、世界展開しちゃうところです。

アベンジャーズシリーズは毎回「To Be Continue」という感じで終わるのですが、今回は普通の映画として考えたら、ストーリーの前3分の1が終わったところで映画が終わります。何年もドラマを追うというのが世界のコンテンツの主流になりつつあるので、別に特別ではないんですが、この金のかけ方と思い切りのよさ、というのがハリウッドだなぁという感じです。

とはいえ、アベンジャーズ・シリーズは観てて飽きないので、いい映画だと思います。

(とってつけたような・・・)

 

孤狼の血』 白石和彌

全編広島ロケ・『仁義なき戦い』シリーズをリスペクト!ということで、ある意味広島ご当地映画感のあるこの映画。

『凶悪』の白石監督です。『凶悪』はいい映画でした。出てくるやつの鬼畜っぷりがふりきってて、誰にも感情移入できないという意味で素晴らしいバイオレンス映画です。近年バイオレンス映画は韓国の十八番になりつつあったのですが、日本もやればできるじゃん!といういい監督です。

そんな白石監督がヤクザ映画を作りました。東映実録路線というジャンルを築き、ヤクザ映画を牽引してきた東映さんが製作配給となっております。最近のヤクザ映画というと、北野映画アウトレイジ』シリーズですが、ワーナーブラザース映画ですので、東映は「俺たちこそがヤクザ映画の本丸じゃ!」と伝えたかったのでしょうか。

東映が本気を出してヤクザ映画に回帰し始めたのは、実録路線好きとしては、日活がロマンポルノを復活させたのと同じようなワクワク感があります。

 

が、しかし、昭和と共に終わりを告げた実録路線(『激動の1750日』-1990年=平成2年が最後の作品かな?)を復活させるにあたり、彼らは昭和に戻ることにしたようです。まあ、原作が昭和の話だからしょうがないんですが、平成も終わろうとしているのに、昭和のヤクザの話をしてどうしようというのだ・・・という気がしないでもないですよね・・・。

仁義なき戦い』をリスペクトしつつ、白石監督の個性を出そうと四苦八苦した結果、どっちつかずの映画ができあがったようです。リスペクトするというのは「寄せる」ということではないので、もっと自由にやらせてあげればよかったのになあと思います。

面白いことは面白いのですが、なんか吹っ切れないというか、実録にしたいのかリアルにしたいのか、どっちなんだ?という雰囲気が全体に漂います。実録はストーリーが実録(一応ノンフィクションという体)なだけで、創り自体はリアルでも何でもないというか、寸劇みたいなところがあり、それがいいのですが、この映画は原作はフィクションでストーリーはリアル、だけど実録リスペクトといういびつなスタイルで作られてしまったので、消化不良感があるんでしょうかね。

ところで、松坂桃李くんはとっても頑張りました。周りが日本でヤクザをやらせるとトップクラスの俳優に囲まれているので、相対的にはあまりうまくないので可愛そうですが、戦隊モノで俳優キャリアをスタートし、『ガッチャマン』で地獄を見つつ、『MOZU』では演技力不足の演技派目指しが陥りがちな「ヒャッハー」系俳優というドツボに嵌まった彼は、この作品で確実に脱皮したと思います。「俺は演技で食っていくんだ」という強い意志も感じられます。

あとはもっと汚くなっていけばいい俳優さんになるんじゃないでしょうか。

松坂桃李ファンは離れてしまうのかもしれませんが、僕はそうなるなら応援したいなぁと思える演技でした。

アウトレイジ』で北野武が、昭和の終わりに哀愁を漂わせつつ、昭和の哲学では生き残れないヤクザの最後のあがきを平成を舞台に描いた(シリーズが進むにつれ、つまらなくなるという悲しみはとりあえずほっとくとして)のに対して、あくまで昭和にしがみつく、東映スタイル。東宝は『ゴジラ』を完全復活させると同時に『君の名は。』を売り、前に進むわけですが、昭和の栄光にしがみつくというのは、日本映画界・・・というか日本社会の風潮なのかもしれないな、と思いました。

 

ところで、広島の人たちは「やくざの本丸は広島じゃ!」という認識があるようです。

ただ、僕は東京の人で、東京のめちゃくちゃ怖いビジネスマン=やくざを観て育ったので、やっぱり現代のヤクザというのはそっちのイメージが強いし、規模で言っても、神戸・東京が本丸な感じがします。存在感でいうと、炭鉱があった九州でしょうか。

どうしても広島が本丸という気はしないのですが、やっぱり『仁義なき戦い』の影響なんでしょうか。『ハリーポッター』で魔法使い=イギリスみたいなイメージが世間に流布されたみたいに、映画というのは社会に影響を与えるのだなぁと思った次第です。

 

 

 

ロードショー評3本立てでございました。

どの作品も1800円払って観てもいいかも、な作品です。

映画バカ時報 2018.4.24. 「映画を評論しようとしたら、映画館の話になっちゃった」

ひっさびさに映画館で映画を観てきました。

観たい映画があったというよりも、映画を観る時間ができ、映画館に行きたくてしょうがなかったために何も調べずに向かって、ちょうどいい時間の映画を観たってだけです。

僕は映画館が好きです。これは映画が好きであるということと全く別の趣味として成り立っています。建造物・空間として好きなんです。ある種のフェチズムだと思います。ありとあらゆることにちょいと噛みしたがる性格の自分には大量の趣味があります。広がりすぎて、実は趣味というには浅すぎるのでは?と自己否定感に浸る時もあるくらいいろいろあります。

古今東西の映画が好きです。ブラックミュージックを源流としているあらゆる音楽が好きです。映画史・ポップ音楽史や映画論・音楽論など、系譜を知ったり理論分解したりするのも好きです。おおよそ球技というジャンルのあらゆるものが好きです。服を観たり選んだり買ったりも好きです。アメリカ文学SF小説が主ですが、文学も好きです。現代アートも結構好きで、大学で授業までとって学んだりしてました。

ジャンル問わず、漫画も好きです。『ガロ』『危ない1号』などに代表されるようなアングラ系の産物(根本敬とか作家も含め)が好きです。犯罪に至ったことはないですが、アルコール・タバコ・マリファナ・コカインその他の麻薬・向精神薬など、いわゆる嗜好的な薬物の知識を集めるのも好きです。アメリカのカウンターカルチャー史やイギリスのモッズシーン史を調べるのも好きです。

とまあ、よくもこんなにへんてこな趣味人になってしまったものだと思いつつ、そういったものと同様に建築が好きです。この趣味が自分の中で特別なのは、上記の魑魅魍魎な趣味がどこから始まったのか自分が認識しているのに対して、建築だけは自分でもよくわからないうちに好きになっていた、という点です。自分の祖父は解体屋のトビでしたが、そのへんが建物好きにしたのでしょうか。愛情が一種の破壊衝動を伴うように、破壊衝動は愛情を伴うのでしょうか。建築が好きな理由は説明できて、あの「ある目的」(これはオフィスビルなら経済的効率性、寺社仏閣・教会ならば宗教性の実像化)を達するために、あらゆる化学物質(木だってある意味化学物質ですよ)と物理法則を駆使して建てられた物体を見ると、ビルも教会も「理屈の塊」に見えるんですね。僕は理屈が好きなので、理屈の塊は大歓迎です。そして、あれほどに巨大な「理屈の塊」を作ってしまう人間の業の深さみたいなものも好きですので、そういうのに浸りながら建築を観ています。「理屈の塊」ではあるので因数分解はできるのだけど、そういうのは頭でわかった上で捨て置いて、ただ建築に浸ることも結構あります。

例えば、「教会の塔の高いところにあるステンドグラスってなんであんなところにあるんだろうか。観にくいよ。」と考えた時に、西ヨーロッパの気候において、石造りであれだけ背の高い密閉空間を作ると、寒暖差が激しい時なんかに教会の塔の上の方が霧がかることがあって、そこに太陽光によってステンドグラスの聖母像なんかがスクリーンされるようにあんな高いところにある。とか調べてみたりすると楽しくてしょうがないわけです。

 

…映画館の話どこいった???

とにもかくにも、僕はいろんな意味で映画館という空間や建築が好きなんです。

別に「映画は映画館で観てこそ、よさがわかる」という意見は否定しませんが、僕は映画館で観た数よりも、家のテレビやネットで観た映画の本数の方が確実に多いし、僕を映画好きにしたのは、『金曜ロードショー』『木曜洋画劇場』『日曜洋画劇場』(あれ?どっちもあったよね?)『土曜プレミアム』そして『午後のロードショー』です。そこで古今東西の名作・珍作・駄作問わず、映画を観まくったので映画が好きになりました。家の近くにTSUTAYAができたのもでかいです。つまり、僕にとっては映画好きであることと映画館には直接関係はないです。

まず暗い空間は好きですね、落ち着きます。その意味では古いビジネスホテル・ラブホテルみたいなあまり灯りを必要としていないホテルの部屋の暗さが好きなのと似ています。あとは知らない人と仲良くなるのに僕はだいぶ時間かかるのですが、すっからかんの映画館で客席にポツポツといる赤の他人と同じ映画を観て、リアクションを見せあってる、あのざっくりコミュニケーションも好きですね。ポップコーンの匂いとか、もう氷しかないコーラをすする音とかその辺もポイントです。あと、マジで観たい映画でない限りという自分勝手な条件付きですが、映画の種類によってはクソみたいなマナーのお客さんが集まりますね。ああいう掃き溜め感も僕は好きです。明け方の新宿や池袋の路上につながるものがあります。

 

まあ、映画の話というより、映画館の話になってしまいましたが、久々のロードショー映画評いってみよう!

 

パシフィック・リム アップライジング』

さてさて、今やアカデミー賞受賞監督に成り下がってしまった(?)ギレルモ・デルトロ。モンスターとロボが好きなオタクに映画作りの才能を与えてみた、神様の社会実験の産物たる映画監督です。彼が作った『パシフィック・リム』の続編が今作。デルトロはプロデューサーになり、スティーヴン・S・デナイトという人が監督やってます。僕は初めて見ました。

さて、前作では怪獣と巨大ロボットの格闘アクションものを本気で作った結果、想定の遥か上を超える感動を我々に与えてくれたパシリム。今回は…

 

つまらなくはない。

 

くらいの感じです。「パシリム1を継ごうとしつつ、新しい物語を作ろうとするとどうしても、ああせざるを得ないのはなんとなく理解できるし、次回作へ中継ぎもしたので、是非次はデルトロ再登板で!」って感じの映画です。これで終わってもいいんですが、これで終わるともはや今回なんのために書いたのかわからないので、僕が気づいた変なところを書きます。

①展開遅くね?

パシリムの一番いいところ(というかリアリティもへったくれもない設定な訳ですから、唯一追求すればいいところ)はロボと怪獣の殴り合いなわけです。巨大なものと巨大なものが武器ありの総合格闘技をやるとどうなるのかしら、という妄想を本気でやってみるところにワクワクする。ただ、この映画冒頭半分くらいがちょっと人間ドラマの方に軸足置いちゃってて、あんまりロボが出てこない。しかも、人間ドラマの登場人物が多すぎて、しっちゃかめっちゃか。そんなこんなでグダグダやってるうちに、怪獣登場バトルして終わり!って感じに見えてしまうので、損でしたね。

②なぜ東京なのか。

後半舞台が東京になります。日本にファンが多かったのでしょうか。興行的な意味ならわかる気がするんですが、日本は未来、いつから中国の自治領になってしまうのでしょうか。東京とされている街が、日本人がたくさん住んでる上海にしか見えなかったのですが。ビルの立ち方とか、都市としての東京の構造からすると不自然なんですね。あんなビル林立してて他更地とかたぶんならないです。

しかも、東京と富士山近くね?富士山見せたいのはわかるけど、あんなとこにねえよ。しかも、どうやったら太平洋とオホーツクと東シナ海から富士山を目指す怪獣の合流アンド迎撃ポイントが東京になっちゃうんだよ。おかしいだろ。太平洋とオホーツクはまだわかるが、東シナの怪獣、お前1回富士山素通りしたろ!

そして、なぜ東京の上で戦うことになっちゃうんですか。富士山の周りなんもないじゃないですか。サティアンできたくらいなんですから、そっちでやってくださいよ。怪獣とロボの殴り合いのリングに1000万人住んでる都市を選ばないでくださいよ。

中国企業の暗躍と活躍の半端さ

中国企業はアメリカ人にとって怖いものなんでしょう。スパイ映画でも昔ロシアが担ってた悪役を中国企業が請け負うことが多くなってきた気がします。ただ、厄介なのは中国人は13億人もいて、中国系を合わせたらさらに半端ねえ人数が観客としているわけなので映画作りはそこも考えます。

結果的に映画途中まで中国企業が悪い奴…と思わせて実はいい奴!的な展開にしたかったんだと思いますが、いい奴が女社長単独なので、属人的な問題にしか見えないといいますか、結果中国企業が全力を挙げ協力して怪獣を倒す物語というか、問題の根元の社長が自ら頑張って失点返ししてるみたいにしか見えないような…

 

この3点は気になりました。気になったけども、まあロボットと怪獣が戦っていさえすれば、そしてかっこいいBGMがあれば(鳴らすタイミング、すごくおかしかったけどね)、パシリムは満足できる映画ですので、みなさん、パシリム3をデルトロに再登板してもらうべく、観に行ってみたらいかがでしょうか。こけるとやらなくなっちゃうんで。

映画バカ時報 2018.2.8.

 最近、映画館に行ってないです。

もっぱらタブレットが僕の映画館になっております。

 

さて、そんなタブレットで見た最近の映画をご紹介。

その前にふと考えたんですが、映画批評を本ではなく、ネットでやっている自分の場合、懇切丁寧にあらすじというものを説明するのって、批評自体に関係ないならば、あんまり意味ないなって思ったんです。だって、同じデバイスを使って検索すればいいですし。検索できない人はこれ見れないわけですし。というわけで、今後僕はあらすじを説明しません。なんか参考になるリンク(ロードショーじゃなければAmazonとかその辺)をはっつけて全てを済ませていきます。ご了承ください。

HTMLというモノの存在を知り、リンク付の画像をはっつけまくってみました。

なんかすごいことをした気分です。

 

攻殻機動隊 ARISE』シリーズ

 SFファンの一部からもはや信仰に近い支持を集める『攻殻機動隊』シリーズという一種の神話があります。元々は士郎正宗という人が描いたマニアックな漫画でした。

 

読んで頂ければわかると思うんですが、漫画というよりも小説に漫画がついてるだけなんじゃないかというくらい文字の多い作品です。1コマが文字で埋め尽くされているのはまだしも、コマ外に作者の独白というか、すごく悪くいえば知識のひけらかしと主義の辻説法が延々と書かれていて、読むのがとっても面倒な作品です。

ここまで毒づいておいて、言うのも心苦しいんですが、僕は結構好きです。

サイバーパンクというSFのジャンルの金字塔で好き嫌いはともかくとりあえず通っておかないといけない作品(小説だとW・ギブソンの『ニューロマンサー』的な)だと思ってますし、世界観も好きな方です。

 

さて、それをこれまた信者が多い押井守という人がアニメ映画化します。

押井調全面展開の作品で台詞の過半数が引用なんではないかというくらい、哲学者やら文学者の本来文字で認識して咀嚼しないと理解できない言葉が音声として次々インプットされるのでそれを理解する間にストーリーが進んでしまい、「いい映画だった」と言うのが困難な映画に仕上がっております。これも批判しながら言うのもあれなんですが、素晴らしい作品です。面白いかどうかは個人の感性次第ですが、後に多くのフォロワー(文学や哲学から引用や表現を引っ張ってきて、大人っぽい仕上がりに)を産んだということはある一定のラインを超えて支持されたという風に考えていいんじゃないかと思います。簡単に言えば「なんかかっこよくね?」って思える映画ってことなんですけど。でもSFって結構その「なんかかっこよくね?」を受容できるマインドがないとそもそも受け入れがたい分野な気がするので(すごくたくさん読んだり観たりすると、「SFという体をとった現代社会への警句だ」とか考えたりするし、実際そういう作品はあるんですが、それはSFというジャンルがそういうツールだからなのであって、SF=社会批判ではないです)、そこがいいところだと思います。

ちなみにですが、押井版を観た後に、多くの人が陥りがちなのが、「自分この作品の良さわかってる」という自己暗示とある種のアイデンティティの防衛反応で、「あの作品を評価できないということは、俺はバカということになる。そんなはずはないから、俺はこの作品を評価しているに違いない」という屈折です。

その屈折が「この作品を評価できないお前はバカだ!」という一種のカルトを産み、次に逆サイドから「作品を評価できてるふりしてるだけだろうお前は」というカルト批判が湧き出るという阿鼻叫喚の事態が発生します。カソリックプロテスタントが批判し、大論争を繰り広げてる時に「あれ、そもそも神っていたんだっけ?」という疑問を挟む余地がないように、この間に割って入ると火あぶりにされます。「神は死んだ」というのには時間がかかるんです。

 

さて、そういった経緯(経緯を説明した記憶がないですが)で、この攻殻機動隊シリーズというのは一種の神話になり、信者を獲得し続けるマシーンになったわけです。

その後

映画の続編や

 

アニメ版

 

最終的にはハリウッド版(スカヨハが出てればとりあえず観るという方はぜひ。まあ、いい映画じゃない-断じて違う-けど、VFXに使える金の量を考えると、実写化がハリウッドでよかったのかもしれないな、っていう出来です。)

など多くの副産物を産みながら、この新興宗教は広がっていきましたとさ・・・

 

危ねえ。批評の主題につく前に話終えるとこだった。

さて、『攻殻機動隊ARISE』は、この新興宗教団体が作り出した神話体系が新約聖書だったりコーランだったりすると、旧約聖書のようなストーリーです。

ごめんなさい、例えを間違えました。要は「みんなが知ってるあの!攻殻機動隊!誕生秘話!一挙公開!スペシャル!!!」ってことです。ほんとごめんなさい。旧約聖書ってそんな話なんでしたっけ。まあいいか。

攻殻機動隊シリーズは全部見ている自分としては、「へえそうなんだぁ~」という目から鱗の・・・いや、信仰に毒されている、そもそもこのお話は後付けであって、もともと想定していたモノではないので、「あ、そういうことにしたんだぁ~」が正解でした。

個人的なお話になりますが、僕が昔々映画館でアルバイトをしていた頃、この映画が定期4本立てくらいで上映されていました。客の入りがあんまりだったのを覚えております。

要はこの話、ある程度信者性が高くないと、そもそも面白くないできあがりになっております。なぜなら誕生秘話だからです。そもそものお話を知らないと、秘話のどの辺がマル秘なのかわからないわけで、そういう意味でこのシリーズはとっても不親切です。後のメインキャラクターが出てくると信者は「おぉ!」ってなるんですが、そのキャラクターをそもそも知らないと「・・・」と通り過ぎる設計です。

聖書を読み、教会に通っているものだけが得ることのできるエクスタシーです。

さて、いよいよ商売方法が新興宗教じみてきました。信者は信仰の証としてこの映画を観る、一方非信者が観に行くと「あれ、わからない???」ってなり、わかるためには聖書を買って教会(映画やアニメかな)に通い・・・泥沼式に信仰の罠にはまっていく、実にうまいシステムができあがっております。

 

ここまで書いてきてふと思ったんですけど、『攻殻機動隊』シリーズの一巻したサブテーマって「ネットによって個人が独立したと見せかけて、そのネットワークの中で個人が消滅して衆愚の塊になったとして」みたいなことだったりするんですが、この「泥沼信仰の罠商法」に嵌まっていく人間やそれにすでに嵌まっている信者達というのは、自分たちが個人的に好きで理解してこれを観ているという主観とは裏腹にもはや個人というよりはシステムに内包された個人になっているわけで・・・「もしや、チーム『攻殻機動隊』(Production I.G.ってとこがだいたい作ってます)の壮大な皮肉なのでは!?」ってなってきました。でも、「そういう皮肉なのではと思わせるというシステムなのでは!?」とぐるぐるぐるぐる同じところを回っていくアイデンティティというのもまた、「『攻殻機動隊』あるある」のシチュエーションなのでした・・・。

 

最近、文章を書く能力の陰りをまざまざと感じていて、これでこの記事がおちているのか、自信がほんとにないので、最後に蛇足を付け加えますと、仮にあなたが信者になりたい場合にオススメの信仰の手順は

①アニメ版×2(1話ずつが短いしわかりよいのでアレルギー反応チェックしやすい)

②映画版×3(1⇒2⇒イノセンスという順で観ると急性押井守中毒にならずにすみます ※2は押井ではないんで)

③漫画(なんかたくさん出ててよくわかんないから最初の1冊をバイブルとして買ってみよう。これで君も正規信者の仲間入りだ)

④ハリウッド版(まあ、このクソわかりにくい世界観から1回休憩しようじゃないか)

⑤ARISE(ここまで来ると、周りのみんなを勧誘し始める宣教師としての資格を与えられる)

という順番がいいかと思います。ちなみにもしあなたが信者になってしまったとして、僕は一切関知しません。

~もしかしたら、こうやって誘われて、アニメを見始めたあなたもシステムの一部になっているのかもしれませんよ~

 

おしまい。

(あれ、うまくおちたんじゃね!?)