素人サブカル批評

草映画ライターとして映画評論。たまに他のサブカル評論。

映画バカ時報 2018.4.6.

お久しぶりです。

3月から多忙が続き、映画館に行ってる暇どころか、映画を観ている暇さえもなくなりそうになっております。

ところで、映画を観たり、本を読んだりという時間は、仕事についてあれこれ考え続けるよりも、創造的な時間だったりします。

意識的に考え続ける時間があったとして、その下には無意識のアイデアがあるわけです。

ただ意識が無意識に蓋をするので、無意識のアイデアはそうそう浮かんできません。そこで、全く関係ないことを考える映画や本の時間、それにこの文章を書く時間が大切になってくるわけです。「10分以上考えているのは考えているのではなくて、悩んでるだけ」という言葉がありますが、その通りだと…はい、言い訳です。

 

さてさて、映画を観たと言っても、Netflixで観ただけなんですが、まあ、映画であることは変わらないので映画評したいと思います。

 

『アナイアレーション』

人生初、Netflix映画を観てみました。

完成度が高いです。お金かかってるのは確かなんですが、あまり金をかけてなさそうなところのアナログ面も工夫があり、構成も脚本も演出もちゃんとしてます。

ナタリー・ポートマン主演映画です。『絶滅領域』という小説が原作。

ナタリーさんと言えば、『レオン』で天才子役として名を馳せ(ジャンレノより演技うまいんじゃね?って言っちゃダメですよ)、『スターウォーズ』で全宇宙的なヒロインになり、『ブラックスワン』やらなんやらとコンスタントにヒット作を引き当てていきますね。

6カ国語くらいしゃべれる超才女でもあり、ハーバードとイエールに同時合格した、ユダヤ系アメリカ人でイスラエル国籍所有、とまあ自己紹介に事欠かない人です。

ちなみにWikipediaが面白いので、ぜひ。スカヨハとナタリーさんが乳の話以外、どう盛り上がるのか、個人的にはナゾです。ナタリーさん、いわゆるハリウッド系女優とは違いあまりグラマーとは言えないので、女性人権活動家とかに好かれそうですね。

しばらく、ラブシーンをしない期間などありましたが、この映画ではちゃんと(「ちゃんと」の定義にもよりますが)ベッドシーンをこなしてます。

 

全体的な雰囲気や終わり方の哲学的な感じにホドロフスキー感を感じます。

でも、仮にこれをホドロフスキーが演出していたら、さらに意味わかんなくなっちゃって、たぶんそのまま意味消失するので、適度な感じがよかったです。

適度を超えるとカルトになります。個人的にはホドロフスキーは好きなんですが、ホドロフスキーが「誰もが認める素晴らしい監督」だとは微塵も思っていないので。

今後、Netflix映画やドラマというのは、映画制作会社やらテレビ局やらを危機に追い込むのかもしれないなあ、と思わせてくれるいい映画でした。

 

アメリカン・ギャングスター

 リドリー・スコットの映画を観るときに、大切なのは『デュエリスト』を観ておくことな気がしています。リドリー映画は基本的に場所や世界観、時代を変えながら、デュエルし続けるものだからです。

デュエルがどうなるのかもほとんど変わらないので、ストーリーの行く末にどきどきすることに煩わされず(じゃあなんで観るんだという話なんですが)、リドリーの世界観に酔いしれたいならオススメします。

デュエリスト』をギャング物にするとこの映画になります。

いやーデンゼル・ワシントンでよかったよね、ほんとに。これウィル・スミスとかだったらマジで観てらんないからね。

リドリー・スコットは当てるときは大当たりさせるし、外すときはフルスイングで外すタイプの映画監督なんですが、『アメリカン・ギャングスター』はそういう意味でよくも悪くもリドリー感が少ないというか。普通に観て、「まあまあだな」と思って、後々考えるとリドリーさん映画だったことを思い出すって感じがします。

絵作りはきれいだし、かっこいいので、さすがCM系って思います。こだわりの映画監督というよりは、職業作家として手堅く作ったという感じがします。

映画バカ時報 2018.2.8.

 最近、映画館に行ってないです。

もっぱらタブレットが僕の映画館になっております。

 

さて、そんなタブレットで見た最近の映画をご紹介。

その前にふと考えたんですが、映画批評を本ではなく、ネットでやっている自分の場合、懇切丁寧にあらすじというものを説明するのって、批評自体に関係ないならば、あんまり意味ないなって思ったんです。だって、同じデバイスを使って検索すればいいですし。検索できない人はこれ見れないわけですし。というわけで、今後僕はあらすじを説明しません。なんか参考になるリンク(ロードショーじゃなければAmazonとかその辺)をはっつけて全てを済ませていきます。ご了承ください。

HTMLというモノの存在を知り、リンク付の画像をはっつけまくってみました。

なんかすごいことをした気分です。

 

攻殻機動隊 ARISE』シリーズ

 SFファンの一部からもはや信仰に近い支持を集める『攻殻機動隊』シリーズという一種の神話があります。元々は士郎正宗という人が描いたマニアックな漫画でした。

 

読んで頂ければわかると思うんですが、漫画というよりも小説に漫画がついてるだけなんじゃないかというくらい文字の多い作品です。1コマが文字で埋め尽くされているのはまだしも、コマ外に作者の独白というか、すごく悪くいえば知識のひけらかしと主義の辻説法が延々と書かれていて、読むのがとっても面倒な作品です。

ここまで毒づいておいて、言うのも心苦しいんですが、僕は結構好きです。

サイバーパンクというSFのジャンルの金字塔で好き嫌いはともかくとりあえず通っておかないといけない作品(小説だとW・ギブソンの『ニューロマンサー』的な)だと思ってますし、世界観も好きな方です。

 

さて、それをこれまた信者が多い押井守という人がアニメ映画化します。

押井調全面展開の作品で台詞の過半数が引用なんではないかというくらい、哲学者やら文学者の本来文字で認識して咀嚼しないと理解できない言葉が音声として次々インプットされるのでそれを理解する間にストーリーが進んでしまい、「いい映画だった」と言うのが困難な映画に仕上がっております。これも批判しながら言うのもあれなんですが、素晴らしい作品です。面白いかどうかは個人の感性次第ですが、後に多くのフォロワー(文学や哲学から引用や表現を引っ張ってきて、大人っぽい仕上がりに)を産んだということはある一定のラインを超えて支持されたという風に考えていいんじゃないかと思います。簡単に言えば「なんかかっこよくね?」って思える映画ってことなんですけど。でもSFって結構その「なんかかっこよくね?」を受容できるマインドがないとそもそも受け入れがたい分野な気がするので(すごくたくさん読んだり観たりすると、「SFという体をとった現代社会への警句だ」とか考えたりするし、実際そういう作品はあるんですが、それはSFというジャンルがそういうツールだからなのであって、SF=社会批判ではないです)、そこがいいところだと思います。

ちなみにですが、押井版を観た後に、多くの人が陥りがちなのが、「自分この作品の良さわかってる」という自己暗示とある種のアイデンティティの防衛反応で、「あの作品を評価できないということは、俺はバカということになる。そんなはずはないから、俺はこの作品を評価しているに違いない」という屈折です。

その屈折が「この作品を評価できないお前はバカだ!」という一種のカルトを産み、次に逆サイドから「作品を評価できてるふりしてるだけだろうお前は」というカルト批判が湧き出るという阿鼻叫喚の事態が発生します。カソリックプロテスタントが批判し、大論争を繰り広げてる時に「あれ、そもそも神っていたんだっけ?」という疑問を挟む余地がないように、この間に割って入ると火あぶりにされます。「神は死んだ」というのには時間がかかるんです。

 

さて、そういった経緯(経緯を説明した記憶がないですが)で、この攻殻機動隊シリーズというのは一種の神話になり、信者を獲得し続けるマシーンになったわけです。

その後

映画の続編や

 

アニメ版

 

最終的にはハリウッド版(スカヨハが出てればとりあえず観るという方はぜひ。まあ、いい映画じゃない-断じて違う-けど、VFXに使える金の量を考えると、実写化がハリウッドでよかったのかもしれないな、っていう出来です。)

など多くの副産物を産みながら、この新興宗教は広がっていきましたとさ・・・

 

危ねえ。批評の主題につく前に話終えるとこだった。

さて、『攻殻機動隊ARISE』は、この新興宗教団体が作り出した神話体系が新約聖書だったりコーランだったりすると、旧約聖書のようなストーリーです。

ごめんなさい、例えを間違えました。要は「みんなが知ってるあの!攻殻機動隊!誕生秘話!一挙公開!スペシャル!!!」ってことです。ほんとごめんなさい。旧約聖書ってそんな話なんでしたっけ。まあいいか。

攻殻機動隊シリーズは全部見ている自分としては、「へえそうなんだぁ~」という目から鱗の・・・いや、信仰に毒されている、そもそもこのお話は後付けであって、もともと想定していたモノではないので、「あ、そういうことにしたんだぁ~」が正解でした。

個人的なお話になりますが、僕が昔々映画館でアルバイトをしていた頃、この映画が定期4本立てくらいで上映されていました。客の入りがあんまりだったのを覚えております。

要はこの話、ある程度信者性が高くないと、そもそも面白くないできあがりになっております。なぜなら誕生秘話だからです。そもそものお話を知らないと、秘話のどの辺がマル秘なのかわからないわけで、そういう意味でこのシリーズはとっても不親切です。後のメインキャラクターが出てくると信者は「おぉ!」ってなるんですが、そのキャラクターをそもそも知らないと「・・・」と通り過ぎる設計です。

聖書を読み、教会に通っているものだけが得ることのできるエクスタシーです。

さて、いよいよ商売方法が新興宗教じみてきました。信者は信仰の証としてこの映画を観る、一方非信者が観に行くと「あれ、わからない???」ってなり、わかるためには聖書を買って教会(映画やアニメかな)に通い・・・泥沼式に信仰の罠にはまっていく、実にうまいシステムができあがっております。

 

ここまで書いてきてふと思ったんですけど、『攻殻機動隊』シリーズの一巻したサブテーマって「ネットによって個人が独立したと見せかけて、そのネットワークの中で個人が消滅して衆愚の塊になったとして」みたいなことだったりするんですが、この「泥沼信仰の罠商法」に嵌まっていく人間やそれにすでに嵌まっている信者達というのは、自分たちが個人的に好きで理解してこれを観ているという主観とは裏腹にもはや個人というよりはシステムに内包された個人になっているわけで・・・「もしや、チーム『攻殻機動隊』(Production I.G.ってとこがだいたい作ってます)の壮大な皮肉なのでは!?」ってなってきました。でも、「そういう皮肉なのではと思わせるというシステムなのでは!?」とぐるぐるぐるぐる同じところを回っていくアイデンティティというのもまた、「『攻殻機動隊』あるある」のシチュエーションなのでした・・・。

 

最近、文章を書く能力の陰りをまざまざと感じていて、これでこの記事がおちているのか、自信がほんとにないので、最後に蛇足を付け加えますと、仮にあなたが信者になりたい場合にオススメの信仰の手順は

①アニメ版×2(1話ずつが短いしわかりよいのでアレルギー反応チェックしやすい)

②映画版×3(1⇒2⇒イノセンスという順で観ると急性押井守中毒にならずにすみます ※2は押井ではないんで)

③漫画(なんかたくさん出ててよくわかんないから最初の1冊をバイブルとして買ってみよう。これで君も正規信者の仲間入りだ)

④ハリウッド版(まあ、このクソわかりにくい世界観から1回休憩しようじゃないか)

⑤ARISE(ここまで来ると、周りのみんなを勧誘し始める宣教師としての資格を与えられる)

という順番がいいかと思います。ちなみにもしあなたが信者になってしまったとして、僕は一切関知しません。

~もしかしたら、こうやって誘われて、アニメを見始めたあなたもシステムの一部になっているのかもしれませんよ~

 

おしまい。

(あれ、うまくおちたんじゃね!?)

映画バカ時報 2018.1.6.

さてさて皆さん、あけましておめでとうございます。

年改まりまして、今年もバカ映画時報続けていきたいと思いますが、

当初は山口という映画好きにとっては網走番外地のような場所にぶち込まれた僕が東京では観なかったような映画を観て批評するという趣旨で始まりました。

 

が!!!

広島に異動になったことにより、そんなバカっぽくない映画を観ることができるようになってしまい、最近歯切れが悪いのは自覚しております。

そこで、「映画バカ(僕は映画ならなんでも観ます)時報」と新年改めまして題を変え、「第X弾」というのもナンバリングするのが面倒(覚えてらんねえ)なのでやめ!

ということで、「映画バカ時報」としてスタートします。今年も皆様のご愛顧よろしくお願いします。

※アクセス数的に結構な数の方に読んでいただいてると思うんですが、支えになりますんで(どんな人が読んでるのか気になるので)、リンクでご紹介しているfacebookの友人の皆さんはタイムラインの方にいいね!していただけますと幸いです。面白くねえなぁと思ったら結構です。

 

さてさて、蛇足はここまで

2018年新年3連作観賞の映画評行ってみよう!古典1作と新作2作でございます。

 

戦争のはらわたサム・ペキンパー/1977

新年1発目はこの映画と決めておりました。

広島の矜持あるミニシアター「横川シネマ」で上映されていると聞きまして、絶対この映画を観ると決めていました。

なぜならば『戦争のはらわた』は、マイ生涯ベストテン(1位決められない)に必ず入る映画。監督のサム・ペキンパーはリスペクトする数少ない映画監督の1人でもあります。

そんな私の映画ランキングの最高峰に君臨する映画です。

みなさん絶対見てください。

サムペキ師匠は「バイオレンス映画の巨匠」なんて言われることで結構忌避されがちなんですが、サムペキ師匠の「バイオレンス」というのはある種の美学に基づいて設計されていて、単なる暴力映画というよりは「暴力シーンをいかに本物っぽく、そしてそれと同時に美しく・楽しく見せるか」というところに狂気のような熱意を注いでおります。

サムペキ師匠がこの作品で扱った題材は「戦争」。人類の中で最大・最凶のバイオレンスです。戦争というのは映画好きにとっては最大のエンタメ題材でもあります。

されこの「戦争のはらわた」、舞台になるのはWW2のドイツ東方戦線。ロシア攻めをしている最中のドイツ軍の中になります。この頃のドイツ軍というと、

①黒づくめ②ユダヤ人を殺す③べらぼうに強い悪い奴ら

というイメージがつきものですが、この映画①黒づくめの人はあまり出てこない(最前線ですんで)②ユダヤ人は微塵も出てこない③基本負けてる(何しろロシアは世界史上負けたことはない−極東の新興野蛮人を相手に自爆したことはある−)ということでドイツ軍は題材ですが、いわゆる「ナチスもの」というくくりの映画ではありません。

戦争のはらわた」というタイトルが示す通り、戦争というバイオレンスの臓物をむき出しにするということがこの映画のテーマです。

物語はある戦地に放り込まれた2人の男。シュタイナーとシュトランスキー。

シュタイナーは歴戦のドイツ兵で「自由主義的」。

シュトランスキーはプロシア貴族の血族で名誉欲の強いナチ将校。

この2人を中心に戦争が描かれます。シュタイナーは途中この時代にそれ言ったら即銃殺なのではないかという言葉をいくつか吐く(主義によると思いますが僕は素晴らしいことを言っていると思います)のですが、これがうわべだけの戦後思想の押し付けに見ねえないのは、戦場のリアルが描かれているからこそ。

一方シュトランスキー含め、多くのナチ将校が本当にイライラするほどの小物なんですが、人間ってこんなもんだよな、って思わせてくれます。僕も日本がナチ国家化したら、シュタイナーになれるか自信ないです。

全く合わないこの2人の確執、そして、シュトランスキーの名誉欲のために死んでいく人たちの哀しみ、それを救うことはできないシュタイナーの募る虚しさというのを描くようにこの映画は進んでいきます。

そして、有名なクライマックス。シュタイナーは死んでいった仲間、募った虚しさを胸にシュトランスキーに借りを返しにいきます。見て欲しいので、詳細は言いません。

ただ、こんな強烈なエンディングシーンを僕は他に知らないし、このエンディングがあるからこそ、生涯ベストにこの映画を入れているのです。

最後締めは映画の締めで終わりたいと思います。

「諸君、あの男の敗北を喜ぶな。世界は立ち上がり奴を阻止した。だが奴を生んだメス犬がまた発情している」ベルトルト・ブレヒト(ドイツ人・劇作家)

 

キングスマン ゴールデンサークル』 マシュー・ボーン/2018

さあさあ、所変わって、広島市シネコンで今年のロードショー初めです。

観たのは『キングスマン』の続編。

前作では、アメリカのマッチョ系スパイ映画に中指を立てるイギリス人的な〜それでいて007的ではない〜スパイ映画を確立させようという挑戦が光り、スタイリッシュでありながら、どことなく「やべえこいつらアメリカ人より頭おかしい」というイギリス人の地力を見せつけるエンディングで認められたわけです。

ところが今回。

「あれ、これイギリス製ミッションインポッシブルじゃね?」という絶対にあってはならない感想が鑑賞後に出てくるほど、アメリカ的。国際麻薬組織が仕掛ける全世界に向けた壮大かつショー的なテロを救うという筋書きがまずアメリカ的。前回は「すげえ鍛えた紳士が頑張るとこんだけすげえことできるんだよ」というアクションシーンに出来上がっていて面白かったのだが、今回はマーベル・DCコミックスもびっくりのスーパースパイがたくさん出てきます。途中アメリカの組織と共闘するのですが、イギリス→アメリカのジョークはアメリカ製ウイスキーを「馬の小便」と呼ぶくらいのおとなしいもの。

何が起きたんだ。20世紀フォックスのせいなのか。配給は確実にしているけど、金も出したのか。キングスマンのいいところを全部無くして、ミッションインポッシブルの悪いところを付け足したらこんな映画になりました、という感じです。

前作は面白いのでぜひご覧ください。

 

スターウォーズ 最後のジェダイライアン・ジョンソン/2017

キングスマンの衝撃冷めやらぬ中、はしごで観てきたのが、スターウォーズ新三部作の第2話。全体でみると8作目のこの作品。

このスターウォーズ、海外の批評サイトとか見ても賛否両論でなかなか参考にならなかったので自分で地雷を踏むつもりで観に行ったんですよ。ハートロッカーですね。なんか煙い映画はとりあえず見てみるに限りますよ。この映画を因数分解すると…

・前作に引き続き1〜6の同窓会

ルークかっこいい。ただ、お前そんなキャラだったっけ。ファンサービスで往年の名キャラクターを出すのはいいけど、いろいろ出しては殺しすぎだよ。もう次作、それなしで乗り切るのきついって。

・カイロ・レンはそろそろ落ち着いてダークサイドをやろう。

悪者っぷりがだめだ。親玉も含めて、チープな戦隊ものの悪役の方が悪役っぷりがいい。あと、カイロ・レンの葛藤とかいろいろ演出を観ていると、SF版ロード・オブ・ザ・リングを観ている気分になる。

・ディズニー的多様性が鼻につく

黒人もお世辞にも綺麗とは言えないアジア人も出して、全体としては多様性を標榜するが、主役を綺麗とは言えないアジア人女性にするとビジネスが失敗するのでそこは綺麗な白人の若い女性にしているというなんとも言えない偽善性

・主演女優が少しふくよかに

ディジー・リドリーちゃん。我々と同い年だし、他の映画にも頑張って挑戦しているからぜひ応援したい女優ではある。(ちなみに演技力はちょっとすごいお遊戯会くらい)この映画では若干ふくよかに。というか太りやすい痩せやすい体質なのか、シーンの撮影時期によって体型が変わるわ変わるわ。この間に何があったんすか?ってなっちゃうレベルなので、できたら最新技術で目立たないようにしてあげて欲しかった。

・市井の人々重視なのはわかるが…

説教くさい。もったいぶっては名もなき人々を強調するけども、1〜6であんだけ名もなき人々を木っ端微塵にしてきたシリーズが「歴史を作ったのは名もなき人々なんだ!」と言っても説得力がないし、この作品中でも「台本上名前の付いた名もなき人々」以外は木っ端微塵にされるし。名もなき人々を重視するのは結構なんだけど、もっとうまく演出しないと、観ててうざったい。

ベニチオ・デル・トロが現れる

突然登場。最初俺似てるなあとしか思ってなかったよ。でもね、俺個人としは「ベニチオ兄さんが出ていればその映画はいい映画」というずるい基準があってだな。

 

というわけで、総体あんまり好きではなかったですが、ベニチオ兄さんに免じて許してやろう、という感じでございます。

1〜8まで観続けてきて今更なんだけど、俺スターウォーズシリーズ嫌いだわ…ジョージ・ルーカスのコンプレックスの系譜としてみれていた自主映画時代(1〜6は実は自主映画です)は面白かったのだけど、ルーカスの手を離れたら、そんな面白くねえわ。

ただ、マーク・ハミルルーク・スカイウォーカー役)が「この映画は金ヅルで作れば確実に儲かるから、作られ続けるんだよ」と言っているように、おそらくこれからも作られるのでしょう。サーガっていうのは得てしてこういうもので、にわかも映画好きも狂信者も観続けるからこそ、サーガ化するんでしょうね。とりあえず、この7、8を観て、新しい神話・宗教というのはこうやって生まれるんだろうなあという感慨に新年早々浸ったわけです。

 

 

今年の映画評初めはこんなもんでいかがでしょうか。

もっと面白く書きたいとは思っているんですが、最近文が走りにくいのでこの辺で。

それでは2018年、良いお年になりますように。

バカ映画時報 番外編①

ロードショーものを扱っていたバカ映画時報ですが、

さすがにロードショーばっかり観ているほど暇ではないので、

TV,DVD,amazonビデオ等々で日々観ている映画もメモっておこうと思います。

 

映画館って1800円かかるじゃん?いわゆるバカ映画は大好きなんだけど、別に映画評論で金を稼いでいるわけではないので、1800円を毎週どぶに捨てるわけにはいかないんですね。だから、実はバカ映画時報としての本分はタダ乃至月額単位でバカスカ観られるこっちの方が観てたりするんですよ。

今回お送りするのは、ある1日で私が8時間ぶっ続けで観た映画4本。真面目→バカ→真面目→バカという順になっているのは、真面目な映画ばかり観ていると、バカになっちゃうからです。

 

さあ、1本目

『ボーダーライン』

これはリゾートビーチの片隅に人間の生首が置いてあるというジョン・ウォーターズもびっくりの趣向をこらすことでお馴染みのメキシコ麻薬カクテルとCIAの小競り合いにFBIの女性捜査官が巻き込まれるというお話。

監督は『ブレードランナー2049』を監督したドゥニ・ヴィルヌーヴ。カルト映画のリメイクってほぼ100%失敗する(カルトの信者は聖書の書き換えを認めてくれないからね)のだが、その割に好意的に捉えられているので、いい監督かもしれない。『灼熱の魂』という映画が代表作で、これはいい映画ですのでぜひ。

「ボーダーライン」という名前が示すとおり、この映画、色んなところでボーダーラインを超えます。

・まずメキシコとアメリカのボーダーラインを超えます。

・CIAが法のボーダーラインを超えます。

・女性捜査官が※※※のボーダーラインを超えます。

ちなみにこの映画の主人公のFBI捜査官ケイト・メイサーはエミリー・ブラントが演じています。エミリー・ブラントと言えば・・・『プラダを着た悪魔』のメリル・ストリープの秘書役であり、トムさん映画(トム・クルーズのための映画)『オール・ユー・ニード・イズ・キル』のヒロインであり、英語版『風立ちぬ』の菜穂子の声をやった人です。もうお分かりでしょう。書いている僕は全然出てたの覚えてないですが。

映画自体は普通に見れる面白い映画です。ただ、僕の印象に一番残っているのは、当初ケイト・メイサーが麻薬撲滅班に入った時に上司のおじさんがCIAであることは知らないんですが、おじさんが非合法な事をする度、「あなたCIAでしょ!」って詰め寄るんですね。アメリカでは「非合法な事をするおじさんはCIAである」という共通理解があるんでしょうか。FBIにも非合法なおじさんはいそうなもんですが・・・。

ということを考えている間に終わる映画でした。

 

はい、2本目

『エイリアン3』

なぜ、3なのか。1でも2でもなく。

それは僕の家のHDDの中に3だけ入っていたからである。

3といえば、デヴィッド・フィンチャーが監督デビューし、シガニー・ウィーバーに「お前が一番エイリアンだよ!!!」と激怒された(これはリドリー・スコットという説もある)上、めちゃくちゃに酷評されて、「俺、もう映画撮らない!」ってなりかけちゃったでお馴染みの映画。その後、フィンチャーは『セブン』という読後感が最高に最低な映画や『ファイトクラブ』という全ての人が青春に1回くらいは観た方がいい映画とか『ソーシャルネットワーク』でFacebookの創設者を描いたりしてファンが「フィンチャーも丸くなったなぁ、うんうん」と思っていた後、『ゴーン・ガール』という読後感最悪の映画を撮って、「あ、こいつそっち側の人だった~忘れてた~」となる、そんな映画監督に成長しました。

3がまず酷評されるのは冒頭、2であれだけ(観てない人は観てね)頑張った人たちをエイリアンと全く関係ない筋で10分以内にリプリー(シガニー・ウィーバーね)以外全員殺すという離れ業をやってのけたことが一番の問題ですね。

その後、エイリアンとの戦いが始まるわけなんですが、フィンチャーは身長180cmで1,2でエイリアンと死闘を演じた戦士リプリーウィーバーさんお世辞にもエロいとは言えない)にナゾのラブシーンをぶっこんだり、丸坊主にしたり、リプリーのお腹の中にエイリアンの赤ちゃんがいるというサイコ展開を作ったりとやりたい放題。

エイリアンの造形自体は男性器を模しているのは有名な話ではあるんだ。だからリプリーというのは男性器と闘う強い女性、ということでメタファー的にフェミニズム勃興の時代のヒーローだったりするわけなんですが、まずいつ寄生したんだろう・・・という疑問が1点、結構でかいけどリプリー気づかないの?っていうのが1点、など疑問が次々湧いてきてエイリアンに集中できない。

ただ、色々言われる本作ではありますが、『エイリアン1』の「絶対強者のエイリアンからいかに逃げるか」というのが主題に置かれていて、『2』で1回脱線してエイリアンと闘う路線から、回帰しているわけです。実はディレクターズ・カット版とか結構評価されたりしているので、観てみてください。

 

フィンチャーつながりで3本目

ドラゴンタトゥーの女

フィンチャーは猟奇殺人が大好きです。『セブン』から始まり、『ゾディアック』『ゴーンガール』と、人をいかに変態的に殺すかということを映画の主題に置いています。

ただ彼の狂気はしれっと『ソーシャルネットワーク』とか『ベンジャミン・バトン』とかヒューマンな映画を間々挟んでくるところにあります。

この映画の中で人は死んでいないですが(死体のシーンがないだけです)、フィンチャーはこの映画で「人を殺さなくても、変態は描ける」という境地に達したようです。

①ヒロインが変態

②ヒロインの後見人が変態

③犯人が親子二代で変態

④なんなら主人公もある意味変態

ということで、出てくる人間で変態じゃない人間がいないんですね。ただ奇跡としか言い様がないのが、変態しか出てこないのに、物語自体は非日常な感じはせず、結構淡々と進んでいきます。

たぶんフィンチャーのメッセージは「人類は皆変態だ。あなたの横のその人も変態だ。」ということなんでしょう。

変態が出てくる映画が好きな人はぜひ観てください。

 

やっと最後の4本目

『プロジェクトA』

だんだん疲れてきました。

ジャッキーチェンが主演・監督・製作した香港映画。

1つ大切な教訓があるんですが、だいたい主演・監督が一緒だと駄作になります。注意してください。

この映画観るのはもう5回目くらい(なんでこの映画そんなに観てんだろ・・・)なんで、新鮮さは微塵もないんですが、新しい発見として、OPロールが当然中国語なんですが、そこで題名が「A計劃」とでかい文字で出てきます。なんかクスッときます。

この映画について評することはないし、もういい加減書くのに疲れてきたので、中国映画の雑学をお伝えして今回を終わろうかと思います。

中国映画(台湾映画は別に考えてね)といえば、カンフーだとみんな思うと思います。事実、カンフー映画以外で世界進出したのはジョン・ウーとジャ・ジャンクーくらいのもんで(チェン・カイコーとかもまあいるんですが)、中国映画の遺伝子の85%くらいはカンフーでできていると捉えて頂いて結構です。

ただ、カンフーって実は闘ってないと言われているんです。「いや、殴ってるじゃん!」と思ったそこのあなた!中国では共産党を倒す戦力を持つことを禁止してます。仮に武器じゃなくても超強い個人は基本存在してはいけないんですね。そ・こ・で、「カンフーというのは踊りです」というエキセントリックな理論で乗り切ることになりました。『酔拳』も『プロジェクトA』も基本ジャッキーは踊っているだけです。踊っている過程で手が当たって、相手が倒れるだけであって、特訓も基本的にはよりアグレッシブに踊るための訓練をしているに過ぎないんですね。そういうところまで考えて観ると、この映画がどれだけ、「バカ映画」か~閑話休題~という事がわかって頂けるのではないでしょうか!

 

以上、終わり!

バカ映画時報第8弾

バックナンバー第8弾

『昼飯時にふと思い出した、僕の脳みそが見なかったことにしていた映画』評

そういえばこんな映画も見ていました。

銀魂』/ 福田雄一
まず最初に確認しておきたいことがある。
僕は福田雄一が大嫌いだ。
・刹那的な笑いのためのストーリーの崩壊
・内輪も内輪、半径10cmにしかわからない内輪ネタをしたり顔でぶっこんでくる
・面白くないことをあえて面白いかのようにやっちゃう俺すごくない?という歪んだ自己顕示欲
…まあつまり視聴者のテレビ離れを引き起こした要素を凝縮した映画を乱発している。
日本映画界から早急に彼を追放した方がいい、とまで思っている。

が、『銀魂』を観てしまった。
原作は知っている。ただ知っている程度で好きでも嫌いでもない。なぜ観てしまったのか。
弟に「銀魂観に行く」と言ったら「落ち着け」と言われたにも関わらず。
僕はクソ映画好きなのかもしれない。
というのも、クソの臭いを嗅いでおかないと、カレーとクソの区別がつかないように、クソ映画を見なければ、いい映画が語れないと思うからだ。

以上、何か哲学論争のような独白になってしまったが、皆さんにクソの臭いを嗅がせてあげよう。

さて。
この映画、キャストは豪華絢爛である。福田雄一という監督の映画にこれだけ集うということは、きっと福田雄一には「強力な何か」がついているんだろう。
伝統的かつ退廃的なテレビ界の流儀として、「豪華な人にこんなことをさせました、面白いでしょ」という悪しき流儀がある。これは最初にやった人がすごいんであって、続いた人間は面白くもなんともない。どう見ても腐った大豆にしか見えない納豆を最初に食べたやつはすごいと思うが、その後納豆がうまいことがわかって納豆を食って胸を張ってるやつがいたら、確実に頭がおかしいやつであるように、もう使い古されたこの流儀を映画に導入するとどうなるか…。
納豆役者の筆頭になるのは近藤勲中村勘九郎。彼はほぼ全編裸でスクリーンを走り回っている。いや、自分で書いてて面白くない文章になってるのがとても心苦しいのだが、本当にそうなのだからこれを1800円払って2時間見せられる私の気持ちを忖度して許してほしい。
いいのか勘九郎、天国で勘三郎が泣いてるぞ。

内輪ネタはそもそも僕が内輪にいないので、理解できないし、理解できないものは脳に残らない、というわけで1ミリも覚えてない。こんなことに1バイトも脳の容量を割きたくない。

そして、福田雄一の真骨頂。「面白くないことをあえてやる俺面白くない?」現象、色々省略して「面白くない現象」と呼ぼう。
劇中「面白くない現象」は何度も起きるのだが、1番記憶に残ってるのは、発明家的な人のところに行くと、シャアがザクを修理してた的なエピソードがある。これ、原作にもあるっぽい。
今一度確認しておきたいんだが、映画と漫画は違うメディアだ。いや、馬鹿みたいな確認なのはわかっている。ただ、それを知らない人が作ってるのではないかと思ってしまう。
漫画はページオチという技が使える。開いて左のページにつかみを持って来て、次のページでオチを見せる。もともと漫画はコマ割りをして、カット間を飛ばし飛ばし書いて、その行間を読者が動きを想像して埋めながらストーリーを展開していくもので、だからこそこのネタは面白い。
ただ、実写映画で生きた人間がこれをやると単なる瞬間移動と時空の歪みにしか見えない。そこで懇切丁寧に前置きをした上でオチを持ってくるという形になる。宴会で若手社員が「これから面白いことやるんでしょ」という面白くない先輩のフリを受けて、なんかやったとして滑らないはずがないように、「これから面白いことやりますよー」って前置きしてなんかやって面白いはずがない。これは視聴者はバカだというテレビマンの基本姿勢に関わってくると思うのだが、だいたいにして視聴者より作り手の方がバカなだけだったりする。

と、い、う、わ、け、で。
皆さんクソの臭いは嗅げましたでしょうか。
この長々とした映画評の締めくくりとして、ふと思ったことを書くと、クソは人間が生きるのに必要であるのに対して、この映画は映画界に必要ないわけで、この映画をクソ映画というのは失礼無礼極まりないかもしれない。もちろん、クソにとってね。

バカ映画時報第7弾

バックナンバー第7弾

アウトレイジ・最終章』 / 北野武

アウトレイジ・シリーズの最後の1作。北野映画が好きで、やくざ映画もバイオレンス映画も好きな私は観に行った。ただ、期待していなかった。
アウトレイジアウトレイジ・ビヨンドと哀しいかな、つまらなくなってからだ。
さてさて、今作は・・・なんと・・・さらにつまらなくなっていた。
暴力映画としての暴力性は北野映画あるある(とりあえず怒鳴る→静寂→突然の効果音抑え気味の暴力)のままであんまし工夫がない。
出てくる変態やくざの変態性も大したことがなく・・・アウトレイジ・ビヨンドから導入された、やくざ世界の権謀術数物語という点でも、「ああ、こいつ裏切るな」という人が裏切り、「彼死ぬな」というやつがちゃんと死ぬという、予想を裏切らない残念さ。
そもそもストーリー構築が裏切りそうな人の裏切るポイントが裏切ることがわかる前にわかってしまうというお粗末さ。
「裏切る」という単語を書きすぎてだんだん疲れてきた。

唯一評価できるかな、と思った点は、「やくざ映画・バイオレンス映画なんだけど、暴力を除いたら、今の日本社会だよね」という、北野武が各種インタビューでも話している部分。確かにやくざもサラリーマンも変わらないといいますか、この映画見ていると世の中の大半のサラリーマンタイプのキャラはすぐ死ぬ。みんな死ぬ。
個人的には死ねばいいのにと思うので、爽快感はある。

ただ、終わり方という点では北野武映画が好きな自分としては「ああ武らしいな」という哀愁とノスタルジーがあって、好みでした。悪口を言うとすると、『ソナチネ』と変わんねえな、おい。というかよく考えたら、途中1回『BROTHER』だったじゃねえか!

まあ、北野武映画好きの皆さんは義務として観とこう。
僕は最終章になってくれてよかったよかった、という気分です。ただ、武の特長として、エンタメ映画を撮った後、勘違いアート映画を撮るという特徴が有るので、次は『アキレスとカメ』みたいな意味不明映画が来るのではないかと戦々恐々としております。

最近、私の映画評の真骨頂(というか「もっと書いてくれ」という要望が強い)である、クソ映画評をなかなかできていなくて、このままでは読者が離れてしまうので、次は誰も観たくない映画に1800円払って観ようと思っております。
信じられないだろ、1800円払って、こんなに頑張って書いて1銭も儲からないんだぜ。

これを観てくれって要望があったら是非。

バカ映画時報第6弾

バックナンバー第6弾

 

ダンケルク』 / クリストファー・ノーラン
メメント』『インセプション』『ダークナイト』シリーズ『インターステラー』と個人的には最高の映画を供給し続けてくれる現役の映画監督、クリストファー・ノーランの最新作。

 

※これ以降、知ってから見たらさらに楽しくなる情報満載で書いたつもりですが、ネタバレになってるかもしれません。自己責任でどうぞ。

(ちなみにスーパーマンのリノベ作品『マン・オブ・スティール』はどこぞのしれない星のエイリアンのお家騒動に地球が巻き込まれるという、勘弁してくれ映画なので、オススメしないです)

今作はW.W.Ⅱ.のヨーロッパ戦線。フランス北部のダンケルクという海岸の街に英仏連合軍が追い詰められ、そこからの救出劇を描いた映画。
状況としては英仏連合軍が対ナチスドイツ防衛線を固めていた地域の北部オランダに攻め込んで予想外なところから侵攻してきたことで、英仏連合軍がてんやわんやになっていた頃の話です。
イギリスのドーバーの対岸にあたり、現在フェリーなら2時間で渡れる距離に祖国があるにも関わらず、空からはナチスドイツの主力戦闘機メッサーシュミットの機銃掃射と主力爆撃機Ju87シュトゥーカの急降下爆撃に狙われて、海に出たら潜水艦U-ボートが魚雷を飛ばして来る。
イギリス側は主力戦闘機スピットファイアを飛ばしてなるべく援護する。
救出は海軍の駆逐艦が担当する…はずだったけども、ダンケルク今は海水浴場になってるくらいの砂浜で遠浅すぎて駆逐艦は近づけない。そこで長〜い桟橋を作って小型艦のピストン輸送でなんとか40万近い英兵をイギリスに逃すという時代場所を舞台に
ダンケルクから逃げようとする若い二等兵
②英海軍に徴用された民間船の船長と若者2人
③それを空から援護する1人の戦闘機乗り
が織り成す戦争ドラマです。

さて、ここまで書いておいて大変申し訳ないのだが、上記の大半(特に①〜③のストーリー紹介の部分より上)は僕の知識であって、映画には全く説明されてないんです。

突然、街を歩くボロボロの格好の一小隊…突然機関銃の音が響き、逃げる、ひたすら逃げる、ひたすら逃げると浜に着く。そこには40万を超す英兵が…とセリフも文字説明もなく始まります。
つまり、これは観客もなんとなく追い詰められてる逃げなきゃってことはわかってる一兵士と同じ立場に放り込まれるということ。だからカメラも常に兵隊の近くにあり、俯瞰をしない。船が沈められれば兵士とともに水に襲われ、重油に引火して海面が炎上してる水中で海面には上がれない、しかし息は…みたいな状況でも一緒に海中。観客は当時の兵士と同じ立場で戦場に参加していかねばならないんですね。

面白いのは飛行機乗りの方、実はノーランはVFXは大嫌い。だから、この映画も基本ノーCG。ただ、80年近く前の戦闘機がそんなにたくさんあるはずない。事実、スピットファイアメッサーシュミットライセンス生産品も含め2台かそこらしか動くものはない。
実はダンケルク航空戦はイギリス側150機、ドイツ160機を撃墜しあう、大ドッグファイトが繰り広げられていた。実機ではそんなの用意できない。レプリカ用意したら予算が崩壊する。
そこでノーランは1人の飛行機乗りのドラマに絞ってしまった。ある意味ダンケルク大撤退を唯一この映画の中で俯瞰できる人間として。

映画全体は間違いなく戦争映画なのだがずーっと違和感を感じていた。ダンケルク大撤退は30万人の英兵を民間船の船乗りも参加してイギリスに撤退させた奇跡の救出作戦として歴史に名を残している。その作戦が終わった映画の最後、チャーチルの言葉を新聞で読む主人公の一兵卒。「この撤退は敗退ではない、勝利だ」。
それで違和感がわかった。戦争映画なのに敵はいるのに敵を殺す場面はない。ただただ徹頭徹尾救う映画でした。
こんな戦争映画もあるんだな、と思ったと同時に、戦争の真っ最中、戦うのではなくて、人が人を救うということにこだわり続ける戦争映画もすごくいいもんだな、って思って、満足感とともに帰ったわけでした。

毒を吐かないとダラダラした文章で面白くもなんともねぇ評論になっちまったわけですが、いい映画だと思うので、ぜひ。