素人サブカル批評

草映画ライターとして映画評論。たまに他のサブカル評論。

映画バカ時報 2018.7.26. 「世の中にはいろんな映画がある1:さよなら、僕らのダイナソー」

出張で東京にきております。

東京出身なので「会社の金で帰省できたじゃん」とか言われたりするのですが

僕は実家が苦手な人なので仕事場から30分ほどの実家ではなく、仕事場から15分ほどのマンスリーマンションで暮らしております。

東京に来て、仕事は忙しいのですが、働き方改革のため、土日が休みです。

マンスリーマンションの部屋はどこか北欧の独房という感じの部屋で、心が荒むので、映画を観に行ったり、配信メディアで映画を観て過ごしております。

 

東京出張も早2週間強になりまして、観た映画が新旧併せまして10本強。

書くにたる映画3本(クソ新作・優秀な新作・旧作で初見)がたまりましたので、

映画評行ってみよう。

長く書くと疲れちゃうので、3回のシリーズ物「世の中にはいろんな映画がある」としていきます。

精神安定剤代わりに書くけど、ネタバレに留意して書くほどには暇ではないので、観たい作品がある人でネタバレに「ネタバレ!」って思っちゃう人は読まないで。

 

『ジュラッシク・ワールド/炎の王国』

今は昔、スティーヴン・スピルバーグという天才が全世界の子供達に「恐竜っているんじゃね!?」って思わせるほどの執念で作り上げた、

『ジュラッシク・パーク』シリーズ。

ジュラシック・パーク』『ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク』というスピルバーグが作った2本の監督作。登場人物が地続きの別監督作品『ジュラシック・パークⅢ』。「そして誰もいなくなった」『ジュラシック・ワールド』。

そして、早くも第5作目となりました、今作の『ジュラシック・ワールド/炎の王国』。

製作総指揮という名義貸しシステムで名前は出ていますが、もうスピルバーグの映画というわけではなくなってしまったなぁ、というのが率直な感想ですね。

 

スピルバーグって怪獣(ジョーズとか、まあ恐竜も怪獣だよね)とかエイリアン(未知との遭遇)とか、映画全体で見たら敵役に当たるクリーチャーたちに対人間以上の愛を込めて描くというのが、映画の特徴としてあると思っているんですけど、この映画ではもうほとんど恐竜愛なんてなくなってしまった。

恐竜檻の中に入ってるし、なんか『ジュラシック・パーク』で実景風の景色をバックに恐竜が闊歩していて、「ウワァ!」というあの感動はどこへやら…

今の少年少女はもうびっくりしないんだろうか。それでも映画館で巨大スクリーンであれ見たら(『ジュラシック・パーク』は1993年の映画なので、僕は再上映で観ました)、「オォォォ!」ってなるのが永遠の少年心なのでは。

 

1作目でジュラシックパーク作った、杖の先に琥珀つけてるおじいちゃんいるじゃん?

あれの友達でほとんど同じような奴が今回出てくるんだよ。

ちょっと精度の低い『スターウォーズ』新始動スタイル。

で、そこまで同じである必要はないと思っていたのだが、殺されちゃうんだよねえ。

何、流行ってんの???

スターウォーズ』新始動スタイルのことを「スターウォーズ・キリングマシーン」って僕は名づけたい気分だよ。

しかも、琥珀のじいちゃん、ちょっとスピルバーグに似てて、「これはスピルバーグ殺し?親殺し的な?」と思ってしまったのだよ。

いいのか、スピルバーグ!お前、監督に殺されてる映画の製作総指揮してるぞ!

 

というスピルバーグのファンとしての哀愁を放って、映画を観たとしても

この映画クソなんだよね。もうね、できの悪いゾンビ映画の類だよ。

遺伝子工学で恐竜が生き返りました!という時点でまあゾンビっちゃゾンビなんだけどそれはさておくとしてだ、もう恐竜が人間が裸で戦うのはまるで無理なモンスターというのを超えて、バイオハザードの次元…恐竜は冒頭こそ、かわいそうな存在として描かれるけど、それ以降は完全な悪者。

観終わった感想は「なんだこれ?」。人間も出てくるやつ出てくるやつ全員醜いやつというか、「殺されちゃう!!!」って心配するより、「よっしゃ、Tレックス、全員食っちまえ!」って気分。

ジュラシック・パーク』は娯楽大作でありながら

・最新鋭映像技術とアナログな特撮撮影を織り交ぜてリアル感を出した恐竜をスクリーンに復活させた

・人間が好き勝手に生み出した恐竜はカイジュウだが、あくまで悪者ではなくて、生態に基づいて行動しているにすぎない。ある種共感できる登場人物のメンバー。

・そこにある人間のエゴに気づけない人間はことごとく死んでいき、気づいた人間は生き残るというメッセージ

・ラストも人間は逃げ切ったし、恐竜たちも人間が作った檻から自由になったという爽快感をもたらす、全編を貫く、スピルバーグの人間愛

が織り交ぜられていた。それはどこへ。僕たちのダイナソーたちはどこへ。。。

 

こんな、クソ映画最初からクソだとわかってて、なぜこの映画を観に行くのか

それはね、最初に「オォォォ!」ってなってしまった自分が忘れられないからでもあるし、最後まで観届けようと思っているから。

だからいいな、1作目に感動した少年・少女だった君たちもこの煉獄からは抜けられないんだぞ!絶対見に行けよ!

 

最後に一言

 

「さよなら、僕らのダイナソー

 

 

映画バカ時報 2018.5.14. 「肝機能障害とハリウッド映画の思い切りと日本映画のノスタルジー」

G.W.前半を39.5度の高熱と共に満喫しました。

休日診療に駆け込んだ医者には初回に

「3日経っても治らなかったら、インフルですね」

とG.W.が療養生活になる可能性を示唆され、

2回目はインフルでないことが検査でわかった代わりに

「あと3日経っても、このままなら血液検査だね。たぶん肝機能障害」

と、この歳にして、生活習慣病というとんでもない可能性を明るく宣言されました。

3日経っても、完治はしなかったですが、知らない方がいいことは知りたくないので、

医者に行くことはやめてみました。

「花粉症は花粉症だと思ったら花粉症」というのが家訓なので、

「肝機能障害は肝機能障害だとわかってからが肝機能障害」という解釈をしたいと思います。

 

さてさて、G.W.後半から、先週にかけ、久々の新作映画ラッシュをしてきたので、

肝機能障害のことは忘れて、ロードショー評3本立ていってみよう。

 

『レディ・プレイヤー1』 スティーブン・スピルバーグ

スピルバーグの新作。アメリカの批評サイトRotten Tomatoesで6.9点なのでおおむね高評価です。

2045年。オアシスという名前の仮想現実が庶民の心のよりどころになった時代。オアシスの創設者が莫大な財産とオアシスの運営権を仮想現実内に隠して死に、それを巡る争奪戦に参加した若者が巨大な陰謀に巻き込まれていくというストーリー。

スピルバーグというのはほとんど一貫してSF映画監督なんですが(たまにユダヤ人であることを思い出します)、彼にとって映画というのは仮想現実みたいなもので、ユダヤ人の上に読字障害でいじめにあい、挙げ句両親が離婚という、少年時代を送ったスピルバーグ少年は映画の夢の中に逃げ込むことで自分を守り、人生を作り、成功した人物なんですね。その意味でSFというフィクションの中のフィクションは彼の得意分野です。スピルバーグのすごいところは成功しても、その「いじめられっ子マインド」といいますか、ある種の童貞オタクマインドを失わないところにあって、『シンドラーのリスト』とか『プライベートライアン』を撮っても、やっぱりSFに戻ってきます。

『ペンダゴンペーパーズ』とほぼ同時並行でこれ撮ってるわけですから。

スピルバーグの社会派映画は迫力もドラマ性もメッセージ性も素晴らしいのですが、やっぱり僕はスピルバーグのSFが好きです。

この映画の主人公の少年は仮想現実でしか活き活きとできない、スピルバーグ少年みたいなキャラクターで、オアシスの創始者はもはやスピルバーグです。

この映画はスピルバーグが幼き日のスピルバーグ少年に「それでいいんだよ」と語りかけるような構造になっているわけで、そう考えるとほっこりします。

あんまりかっこよくないオタク少年が仮想の世界で美女と会い、現実の世界でも結ばれるというところに、スピルバーグ少年の童貞の妄想を感じます。

それは香ばしいんですが、妄想を現実にするのが映画のいいところであるからして、スピルバーグの強みが全て凝縮されたような作品です。

ちなみにこの映画はクロスオーバー祭りになっていまして、過去の名作のパロディがたくさん出てきます。親日家(というか日本文化オタク)のスピルバーグらしく、日本の作品もたくさん出てきます。

この映画のパロディ部分をどこまで察知できるかで、あなたのスピルバーグ度がわかるかも?です。

 

アベンジャーズ/インフィニティウォー』 ルッソ兄弟

ルッソ兄弟というのはマーベル専門型コーエン兄弟のようなものです。

嘘です、コーエン兄弟の方がすごいと思います。

まあでも、次回作も含めマーベル映画を5本も撮ってるわけで、得意分野だと言えます。『ウェルカム・トゥ・コリンウッド』の頃にはこんなことなかったんですが・・・。

さて、本作。アベンジャーズがありすぎて、もはや何作目なのかよくわからなくなってきております。アベンジャーズシリーズを中心として、2000年代から勃興したマーベル映画の抱える問題点があります。派生作品でキャラクターを増やしすぎました。

いや、アメコミとしてのアベンジャーズはヒーロー全員参加型のチームなので本来的には別に間違いではないのですが、やっぱり映画というのは2~3時間の中でストーリーを起こし、終わらせる、という性質のものなので、あまりにキャラクターが増えすぎると、それだけで話が終わってしまいます。

キャプテン・アメリカマイティ・ソー、アイアンマン、ハルク、スパイダーマンまでならわかる。

ただ、これに加えて、ロキ、ブラック・ウィドウ、ファルコン、ドクター・ストレンジ、ウォーマシン、ホワイトウルフ、ブラックパンサー、ガーディアン・オブ・ギャラクシー軍団(計5名)、ヴィジョン、スカーレットウィッチが登場。

しかも、敵がサノス・・・とその一味という大所帯。もう登場人物何人いんだよ、というてんやわんやのお祭り騒ぎ状態。

そこで、今回、大規模リストラが敢行されます。きっとマーベルの誰かが気づいた。「やってらんねぇ」と。

なにがどうしてどうなるか、は、言ってしまうと、この映画を観る人が可愛そうなので、あまり言いませんが、予告にある通り、アベンジャーズは危機的状況に陥り、キャラクター間引きが行われます(たぶん、グッズ売れなかった順・・・資本主義だな)。

ハリウッド映画ってすげえなあと思うのは、リストラなんて、冒頭の10分くらい使って、「てな感じで、人数減りました。よろしく!」って吹っ飛ばしちゃえば、雑ではあるけども、まあ成立するのに、巨額のマネーを投下して、VFX祭りをしながら、リストラを1本の作品にして、世界展開しちゃうところです。

アベンジャーズシリーズは毎回「To Be Continue」という感じで終わるのですが、今回は普通の映画として考えたら、ストーリーの前3分の1が終わったところで映画が終わります。何年もドラマを追うというのが世界のコンテンツの主流になりつつあるので、別に特別ではないんですが、この金のかけ方と思い切りのよさ、というのがハリウッドだなぁという感じです。

とはいえ、アベンジャーズ・シリーズは観てて飽きないので、いい映画だと思います。

(とってつけたような・・・)

 

孤狼の血』 白石和彌

全編広島ロケ・『仁義なき戦い』シリーズをリスペクト!ということで、ある意味広島ご当地映画感のあるこの映画。

『凶悪』の白石監督です。『凶悪』はいい映画でした。出てくるやつの鬼畜っぷりがふりきってて、誰にも感情移入できないという意味で素晴らしいバイオレンス映画です。近年バイオレンス映画は韓国の十八番になりつつあったのですが、日本もやればできるじゃん!といういい監督です。

そんな白石監督がヤクザ映画を作りました。東映実録路線というジャンルを築き、ヤクザ映画を牽引してきた東映さんが製作配給となっております。最近のヤクザ映画というと、北野映画アウトレイジ』シリーズですが、ワーナーブラザース映画ですので、東映は「俺たちこそがヤクザ映画の本丸じゃ!」と伝えたかったのでしょうか。

東映が本気を出してヤクザ映画に回帰し始めたのは、実録路線好きとしては、日活がロマンポルノを復活させたのと同じようなワクワク感があります。

 

が、しかし、昭和と共に終わりを告げた実録路線(『激動の1750日』-1990年=平成2年が最後の作品かな?)を復活させるにあたり、彼らは昭和に戻ることにしたようです。まあ、原作が昭和の話だからしょうがないんですが、平成も終わろうとしているのに、昭和のヤクザの話をしてどうしようというのだ・・・という気がしないでもないですよね・・・。

仁義なき戦い』をリスペクトしつつ、白石監督の個性を出そうと四苦八苦した結果、どっちつかずの映画ができあがったようです。リスペクトするというのは「寄せる」ということではないので、もっと自由にやらせてあげればよかったのになあと思います。

面白いことは面白いのですが、なんか吹っ切れないというか、実録にしたいのかリアルにしたいのか、どっちなんだ?という雰囲気が全体に漂います。実録はストーリーが実録(一応ノンフィクションという体)なだけで、創り自体はリアルでも何でもないというか、寸劇みたいなところがあり、それがいいのですが、この映画は原作はフィクションでストーリーはリアル、だけど実録リスペクトといういびつなスタイルで作られてしまったので、消化不良感があるんでしょうかね。

ところで、松坂桃李くんはとっても頑張りました。周りが日本でヤクザをやらせるとトップクラスの俳優に囲まれているので、相対的にはあまりうまくないので可愛そうですが、戦隊モノで俳優キャリアをスタートし、『ガッチャマン』で地獄を見つつ、『MOZU』では演技力不足の演技派目指しが陥りがちな「ヒャッハー」系俳優というドツボに嵌まった彼は、この作品で確実に脱皮したと思います。「俺は演技で食っていくんだ」という強い意志も感じられます。

あとはもっと汚くなっていけばいい俳優さんになるんじゃないでしょうか。

松坂桃李ファンは離れてしまうのかもしれませんが、僕はそうなるなら応援したいなぁと思える演技でした。

アウトレイジ』で北野武が、昭和の終わりに哀愁を漂わせつつ、昭和の哲学では生き残れないヤクザの最後のあがきを平成を舞台に描いた(シリーズが進むにつれ、つまらなくなるという悲しみはとりあえずほっとくとして)のに対して、あくまで昭和にしがみつく、東映スタイル。東宝は『ゴジラ』を完全復活させると同時に『君の名は。』を売り、前に進むわけですが、昭和の栄光にしがみつくというのは、日本映画界・・・というか日本社会の風潮なのかもしれないな、と思いました。

 

ところで、広島の人たちは「やくざの本丸は広島じゃ!」という認識があるようです。

ただ、僕は東京の人で、東京のめちゃくちゃ怖いビジネスマン=やくざを観て育ったので、やっぱり現代のヤクザというのはそっちのイメージが強いし、規模で言っても、神戸・東京が本丸な感じがします。存在感でいうと、炭鉱があった九州でしょうか。

どうしても広島が本丸という気はしないのですが、やっぱり『仁義なき戦い』の影響なんでしょうか。『ハリーポッター』で魔法使い=イギリスみたいなイメージが世間に流布されたみたいに、映画というのは社会に影響を与えるのだなぁと思った次第です。

 

 

 

ロードショー評3本立てでございました。

どの作品も1800円払って観てもいいかも、な作品です。

映画バカ時報 2018.4.24. 「映画を評論しようとしたら、映画館の話になっちゃった」

ひっさびさに映画館で映画を観てきました。

観たい映画があったというよりも、映画を観る時間ができ、映画館に行きたくてしょうがなかったために何も調べずに向かって、ちょうどいい時間の映画を観たってだけです。

僕は映画館が好きです。これは映画が好きであるということと全く別の趣味として成り立っています。建造物・空間として好きなんです。ある種のフェチズムだと思います。ありとあらゆることにちょいと噛みしたがる性格の自分には大量の趣味があります。広がりすぎて、実は趣味というには浅すぎるのでは?と自己否定感に浸る時もあるくらいいろいろあります。

古今東西の映画が好きです。ブラックミュージックを源流としているあらゆる音楽が好きです。映画史・ポップ音楽史や映画論・音楽論など、系譜を知ったり理論分解したりするのも好きです。おおよそ球技というジャンルのあらゆるものが好きです。服を観たり選んだり買ったりも好きです。アメリカ文学SF小説が主ですが、文学も好きです。現代アートも結構好きで、大学で授業までとって学んだりしてました。

ジャンル問わず、漫画も好きです。『ガロ』『危ない1号』などに代表されるようなアングラ系の産物(根本敬とか作家も含め)が好きです。犯罪に至ったことはないですが、アルコール・タバコ・マリファナ・コカインその他の麻薬・向精神薬など、いわゆる嗜好的な薬物の知識を集めるのも好きです。アメリカのカウンターカルチャー史やイギリスのモッズシーン史を調べるのも好きです。

とまあ、よくもこんなにへんてこな趣味人になってしまったものだと思いつつ、そういったものと同様に建築が好きです。この趣味が自分の中で特別なのは、上記の魑魅魍魎な趣味がどこから始まったのか自分が認識しているのに対して、建築だけは自分でもよくわからないうちに好きになっていた、という点です。自分の祖父は解体屋のトビでしたが、そのへんが建物好きにしたのでしょうか。愛情が一種の破壊衝動を伴うように、破壊衝動は愛情を伴うのでしょうか。建築が好きな理由は説明できて、あの「ある目的」(これはオフィスビルなら経済的効率性、寺社仏閣・教会ならば宗教性の実像化)を達するために、あらゆる化学物質(木だってある意味化学物質ですよ)と物理法則を駆使して建てられた物体を見ると、ビルも教会も「理屈の塊」に見えるんですね。僕は理屈が好きなので、理屈の塊は大歓迎です。そして、あれほどに巨大な「理屈の塊」を作ってしまう人間の業の深さみたいなものも好きですので、そういうのに浸りながら建築を観ています。「理屈の塊」ではあるので因数分解はできるのだけど、そういうのは頭でわかった上で捨て置いて、ただ建築に浸ることも結構あります。

例えば、「教会の塔の高いところにあるステンドグラスってなんであんなところにあるんだろうか。観にくいよ。」と考えた時に、西ヨーロッパの気候において、石造りであれだけ背の高い密閉空間を作ると、寒暖差が激しい時なんかに教会の塔の上の方が霧がかることがあって、そこに太陽光によってステンドグラスの聖母像なんかがスクリーンされるようにあんな高いところにある。とか調べてみたりすると楽しくてしょうがないわけです。

 

…映画館の話どこいった???

とにもかくにも、僕はいろんな意味で映画館という空間や建築が好きなんです。

別に「映画は映画館で観てこそ、よさがわかる」という意見は否定しませんが、僕は映画館で観た数よりも、家のテレビやネットで観た映画の本数の方が確実に多いし、僕を映画好きにしたのは、『金曜ロードショー』『木曜洋画劇場』『日曜洋画劇場』(あれ?どっちもあったよね?)『土曜プレミアム』そして『午後のロードショー』です。そこで古今東西の名作・珍作・駄作問わず、映画を観まくったので映画が好きになりました。家の近くにTSUTAYAができたのもでかいです。つまり、僕にとっては映画好きであることと映画館には直接関係はないです。

まず暗い空間は好きですね、落ち着きます。その意味では古いビジネスホテル・ラブホテルみたいなあまり灯りを必要としていないホテルの部屋の暗さが好きなのと似ています。あとは知らない人と仲良くなるのに僕はだいぶ時間かかるのですが、すっからかんの映画館で客席にポツポツといる赤の他人と同じ映画を観て、リアクションを見せあってる、あのざっくりコミュニケーションも好きですね。ポップコーンの匂いとか、もう氷しかないコーラをすする音とかその辺もポイントです。あと、マジで観たい映画でない限りという自分勝手な条件付きですが、映画の種類によってはクソみたいなマナーのお客さんが集まりますね。ああいう掃き溜め感も僕は好きです。明け方の新宿や池袋の路上につながるものがあります。

 

まあ、映画の話というより、映画館の話になってしまいましたが、久々のロードショー映画評いってみよう!

 

パシフィック・リム アップライジング』

さてさて、今やアカデミー賞受賞監督に成り下がってしまった(?)ギレルモ・デルトロ。モンスターとロボが好きなオタクに映画作りの才能を与えてみた、神様の社会実験の産物たる映画監督です。彼が作った『パシフィック・リム』の続編が今作。デルトロはプロデューサーになり、スティーヴン・S・デナイトという人が監督やってます。僕は初めて見ました。

さて、前作では怪獣と巨大ロボットの格闘アクションものを本気で作った結果、想定の遥か上を超える感動を我々に与えてくれたパシリム。今回は…

 

つまらなくはない。

 

くらいの感じです。「パシリム1を継ごうとしつつ、新しい物語を作ろうとするとどうしても、ああせざるを得ないのはなんとなく理解できるし、次回作へ中継ぎもしたので、是非次はデルトロ再登板で!」って感じの映画です。これで終わってもいいんですが、これで終わるともはや今回なんのために書いたのかわからないので、僕が気づいた変なところを書きます。

①展開遅くね?

パシリムの一番いいところ(というかリアリティもへったくれもない設定な訳ですから、唯一追求すればいいところ)はロボと怪獣の殴り合いなわけです。巨大なものと巨大なものが武器ありの総合格闘技をやるとどうなるのかしら、という妄想を本気でやってみるところにワクワクする。ただ、この映画冒頭半分くらいがちょっと人間ドラマの方に軸足置いちゃってて、あんまりロボが出てこない。しかも、人間ドラマの登場人物が多すぎて、しっちゃかめっちゃか。そんなこんなでグダグダやってるうちに、怪獣登場バトルして終わり!って感じに見えてしまうので、損でしたね。

②なぜ東京なのか。

後半舞台が東京になります。日本にファンが多かったのでしょうか。興行的な意味ならわかる気がするんですが、日本は未来、いつから中国の自治領になってしまうのでしょうか。東京とされている街が、日本人がたくさん住んでる上海にしか見えなかったのですが。ビルの立ち方とか、都市としての東京の構造からすると不自然なんですね。あんなビル林立してて他更地とかたぶんならないです。

しかも、東京と富士山近くね?富士山見せたいのはわかるけど、あんなとこにねえよ。しかも、どうやったら太平洋とオホーツクと東シナ海から富士山を目指す怪獣の合流アンド迎撃ポイントが東京になっちゃうんだよ。おかしいだろ。太平洋とオホーツクはまだわかるが、東シナの怪獣、お前1回富士山素通りしたろ!

そして、なぜ東京の上で戦うことになっちゃうんですか。富士山の周りなんもないじゃないですか。サティアンできたくらいなんですから、そっちでやってくださいよ。怪獣とロボの殴り合いのリングに1000万人住んでる都市を選ばないでくださいよ。

中国企業の暗躍と活躍の半端さ

中国企業はアメリカ人にとって怖いものなんでしょう。スパイ映画でも昔ロシアが担ってた悪役を中国企業が請け負うことが多くなってきた気がします。ただ、厄介なのは中国人は13億人もいて、中国系を合わせたらさらに半端ねえ人数が観客としているわけなので映画作りはそこも考えます。

結果的に映画途中まで中国企業が悪い奴…と思わせて実はいい奴!的な展開にしたかったんだと思いますが、いい奴が女社長単独なので、属人的な問題にしか見えないといいますか、結果中国企業が全力を挙げ協力して怪獣を倒す物語というか、問題の根元の社長が自ら頑張って失点返ししてるみたいにしか見えないような…

 

この3点は気になりました。気になったけども、まあロボットと怪獣が戦っていさえすれば、そしてかっこいいBGMがあれば(鳴らすタイミング、すごくおかしかったけどね)、パシリムは満足できる映画ですので、みなさん、パシリム3をデルトロに再登板してもらうべく、観に行ってみたらいかがでしょうか。こけるとやらなくなっちゃうんで。

映画バカ時報 2018.2.8.

 最近、映画館に行ってないです。

もっぱらタブレットが僕の映画館になっております。

 

さて、そんなタブレットで見た最近の映画をご紹介。

その前にふと考えたんですが、映画批評を本ではなく、ネットでやっている自分の場合、懇切丁寧にあらすじというものを説明するのって、批評自体に関係ないならば、あんまり意味ないなって思ったんです。だって、同じデバイスを使って検索すればいいですし。検索できない人はこれ見れないわけですし。というわけで、今後僕はあらすじを説明しません。なんか参考になるリンク(ロードショーじゃなければAmazonとかその辺)をはっつけて全てを済ませていきます。ご了承ください。

HTMLというモノの存在を知り、リンク付の画像をはっつけまくってみました。

なんかすごいことをした気分です。

 

攻殻機動隊 ARISE』シリーズ

 SFファンの一部からもはや信仰に近い支持を集める『攻殻機動隊』シリーズという一種の神話があります。元々は士郎正宗という人が描いたマニアックな漫画でした。

 

読んで頂ければわかると思うんですが、漫画というよりも小説に漫画がついてるだけなんじゃないかというくらい文字の多い作品です。1コマが文字で埋め尽くされているのはまだしも、コマ外に作者の独白というか、すごく悪くいえば知識のひけらかしと主義の辻説法が延々と書かれていて、読むのがとっても面倒な作品です。

ここまで毒づいておいて、言うのも心苦しいんですが、僕は結構好きです。

サイバーパンクというSFのジャンルの金字塔で好き嫌いはともかくとりあえず通っておかないといけない作品(小説だとW・ギブソンの『ニューロマンサー』的な)だと思ってますし、世界観も好きな方です。

 

さて、それをこれまた信者が多い押井守という人がアニメ映画化します。

押井調全面展開の作品で台詞の過半数が引用なんではないかというくらい、哲学者やら文学者の本来文字で認識して咀嚼しないと理解できない言葉が音声として次々インプットされるのでそれを理解する間にストーリーが進んでしまい、「いい映画だった」と言うのが困難な映画に仕上がっております。これも批判しながら言うのもあれなんですが、素晴らしい作品です。面白いかどうかは個人の感性次第ですが、後に多くのフォロワー(文学や哲学から引用や表現を引っ張ってきて、大人っぽい仕上がりに)を産んだということはある一定のラインを超えて支持されたという風に考えていいんじゃないかと思います。簡単に言えば「なんかかっこよくね?」って思える映画ってことなんですけど。でもSFって結構その「なんかかっこよくね?」を受容できるマインドがないとそもそも受け入れがたい分野な気がするので(すごくたくさん読んだり観たりすると、「SFという体をとった現代社会への警句だ」とか考えたりするし、実際そういう作品はあるんですが、それはSFというジャンルがそういうツールだからなのであって、SF=社会批判ではないです)、そこがいいところだと思います。

ちなみにですが、押井版を観た後に、多くの人が陥りがちなのが、「自分この作品の良さわかってる」という自己暗示とある種のアイデンティティの防衛反応で、「あの作品を評価できないということは、俺はバカということになる。そんなはずはないから、俺はこの作品を評価しているに違いない」という屈折です。

その屈折が「この作品を評価できないお前はバカだ!」という一種のカルトを産み、次に逆サイドから「作品を評価できてるふりしてるだけだろうお前は」というカルト批判が湧き出るという阿鼻叫喚の事態が発生します。カソリックプロテスタントが批判し、大論争を繰り広げてる時に「あれ、そもそも神っていたんだっけ?」という疑問を挟む余地がないように、この間に割って入ると火あぶりにされます。「神は死んだ」というのには時間がかかるんです。

 

さて、そういった経緯(経緯を説明した記憶がないですが)で、この攻殻機動隊シリーズというのは一種の神話になり、信者を獲得し続けるマシーンになったわけです。

その後

映画の続編や

 

アニメ版

 

最終的にはハリウッド版(スカヨハが出てればとりあえず観るという方はぜひ。まあ、いい映画じゃない-断じて違う-けど、VFXに使える金の量を考えると、実写化がハリウッドでよかったのかもしれないな、っていう出来です。)

など多くの副産物を産みながら、この新興宗教は広がっていきましたとさ・・・

 

危ねえ。批評の主題につく前に話終えるとこだった。

さて、『攻殻機動隊ARISE』は、この新興宗教団体が作り出した神話体系が新約聖書だったりコーランだったりすると、旧約聖書のようなストーリーです。

ごめんなさい、例えを間違えました。要は「みんなが知ってるあの!攻殻機動隊!誕生秘話!一挙公開!スペシャル!!!」ってことです。ほんとごめんなさい。旧約聖書ってそんな話なんでしたっけ。まあいいか。

攻殻機動隊シリーズは全部見ている自分としては、「へえそうなんだぁ~」という目から鱗の・・・いや、信仰に毒されている、そもそもこのお話は後付けであって、もともと想定していたモノではないので、「あ、そういうことにしたんだぁ~」が正解でした。

個人的なお話になりますが、僕が昔々映画館でアルバイトをしていた頃、この映画が定期4本立てくらいで上映されていました。客の入りがあんまりだったのを覚えております。

要はこの話、ある程度信者性が高くないと、そもそも面白くないできあがりになっております。なぜなら誕生秘話だからです。そもそものお話を知らないと、秘話のどの辺がマル秘なのかわからないわけで、そういう意味でこのシリーズはとっても不親切です。後のメインキャラクターが出てくると信者は「おぉ!」ってなるんですが、そのキャラクターをそもそも知らないと「・・・」と通り過ぎる設計です。

聖書を読み、教会に通っているものだけが得ることのできるエクスタシーです。

さて、いよいよ商売方法が新興宗教じみてきました。信者は信仰の証としてこの映画を観る、一方非信者が観に行くと「あれ、わからない???」ってなり、わかるためには聖書を買って教会(映画やアニメかな)に通い・・・泥沼式に信仰の罠にはまっていく、実にうまいシステムができあがっております。

 

ここまで書いてきてふと思ったんですけど、『攻殻機動隊』シリーズの一巻したサブテーマって「ネットによって個人が独立したと見せかけて、そのネットワークの中で個人が消滅して衆愚の塊になったとして」みたいなことだったりするんですが、この「泥沼信仰の罠商法」に嵌まっていく人間やそれにすでに嵌まっている信者達というのは、自分たちが個人的に好きで理解してこれを観ているという主観とは裏腹にもはや個人というよりはシステムに内包された個人になっているわけで・・・「もしや、チーム『攻殻機動隊』(Production I.G.ってとこがだいたい作ってます)の壮大な皮肉なのでは!?」ってなってきました。でも、「そういう皮肉なのではと思わせるというシステムなのでは!?」とぐるぐるぐるぐる同じところを回っていくアイデンティティというのもまた、「『攻殻機動隊』あるある」のシチュエーションなのでした・・・。

 

最近、文章を書く能力の陰りをまざまざと感じていて、これでこの記事がおちているのか、自信がほんとにないので、最後に蛇足を付け加えますと、仮にあなたが信者になりたい場合にオススメの信仰の手順は

①アニメ版×2(1話ずつが短いしわかりよいのでアレルギー反応チェックしやすい)

②映画版×3(1⇒2⇒イノセンスという順で観ると急性押井守中毒にならずにすみます ※2は押井ではないんで)

③漫画(なんかたくさん出ててよくわかんないから最初の1冊をバイブルとして買ってみよう。これで君も正規信者の仲間入りだ)

④ハリウッド版(まあ、このクソわかりにくい世界観から1回休憩しようじゃないか)

⑤ARISE(ここまで来ると、周りのみんなを勧誘し始める宣教師としての資格を与えられる)

という順番がいいかと思います。ちなみにもしあなたが信者になってしまったとして、僕は一切関知しません。

~もしかしたら、こうやって誘われて、アニメを見始めたあなたもシステムの一部になっているのかもしれませんよ~

 

おしまい。

(あれ、うまくおちたんじゃね!?)

映画バカ時報 2018.1.6.

さてさて皆さん、あけましておめでとうございます。

年改まりまして、今年もバカ映画時報続けていきたいと思いますが、

当初は山口という映画好きにとっては網走番外地のような場所にぶち込まれた僕が東京では観なかったような映画を観て批評するという趣旨で始まりました。

 

が!!!

広島に異動になったことにより、そんなバカっぽくない映画を観ることができるようになってしまい、最近歯切れが悪いのは自覚しております。

そこで、「映画バカ(僕は映画ならなんでも観ます)時報」と新年改めまして題を変え、「第X弾」というのもナンバリングするのが面倒(覚えてらんねえ)なのでやめ!

ということで、「映画バカ時報」としてスタートします。今年も皆様のご愛顧よろしくお願いします。

※アクセス数的に結構な数の方に読んでいただいてると思うんですが、支えになりますんで(どんな人が読んでるのか気になるので)、リンクでご紹介しているfacebookの友人の皆さんはタイムラインの方にいいね!していただけますと幸いです。面白くねえなぁと思ったら結構です。

 

さてさて、蛇足はここまで

2018年新年3連作観賞の映画評行ってみよう!古典1作と新作2作でございます。

 

戦争のはらわたサム・ペキンパー/1977

新年1発目はこの映画と決めておりました。

広島の矜持あるミニシアター「横川シネマ」で上映されていると聞きまして、絶対この映画を観ると決めていました。

なぜならば『戦争のはらわた』は、マイ生涯ベストテン(1位決められない)に必ず入る映画。監督のサム・ペキンパーはリスペクトする数少ない映画監督の1人でもあります。

そんな私の映画ランキングの最高峰に君臨する映画です。

みなさん絶対見てください。

サムペキ師匠は「バイオレンス映画の巨匠」なんて言われることで結構忌避されがちなんですが、サムペキ師匠の「バイオレンス」というのはある種の美学に基づいて設計されていて、単なる暴力映画というよりは「暴力シーンをいかに本物っぽく、そしてそれと同時に美しく・楽しく見せるか」というところに狂気のような熱意を注いでおります。

サムペキ師匠がこの作品で扱った題材は「戦争」。人類の中で最大・最凶のバイオレンスです。戦争というのは映画好きにとっては最大のエンタメ題材でもあります。

されこの「戦争のはらわた」、舞台になるのはWW2のドイツ東方戦線。ロシア攻めをしている最中のドイツ軍の中になります。この頃のドイツ軍というと、

①黒づくめ②ユダヤ人を殺す③べらぼうに強い悪い奴ら

というイメージがつきものですが、この映画①黒づくめの人はあまり出てこない(最前線ですんで)②ユダヤ人は微塵も出てこない③基本負けてる(何しろロシアは世界史上負けたことはない−極東の新興野蛮人を相手に自爆したことはある−)ということでドイツ軍は題材ですが、いわゆる「ナチスもの」というくくりの映画ではありません。

戦争のはらわた」というタイトルが示す通り、戦争というバイオレンスの臓物をむき出しにするということがこの映画のテーマです。

物語はある戦地に放り込まれた2人の男。シュタイナーとシュトランスキー。

シュタイナーは歴戦のドイツ兵で「自由主義的」。

シュトランスキーはプロシア貴族の血族で名誉欲の強いナチ将校。

この2人を中心に戦争が描かれます。シュタイナーは途中この時代にそれ言ったら即銃殺なのではないかという言葉をいくつか吐く(主義によると思いますが僕は素晴らしいことを言っていると思います)のですが、これがうわべだけの戦後思想の押し付けに見ねえないのは、戦場のリアルが描かれているからこそ。

一方シュトランスキー含め、多くのナチ将校が本当にイライラするほどの小物なんですが、人間ってこんなもんだよな、って思わせてくれます。僕も日本がナチ国家化したら、シュタイナーになれるか自信ないです。

全く合わないこの2人の確執、そして、シュトランスキーの名誉欲のために死んでいく人たちの哀しみ、それを救うことはできないシュタイナーの募る虚しさというのを描くようにこの映画は進んでいきます。

そして、有名なクライマックス。シュタイナーは死んでいった仲間、募った虚しさを胸にシュトランスキーに借りを返しにいきます。見て欲しいので、詳細は言いません。

ただ、こんな強烈なエンディングシーンを僕は他に知らないし、このエンディングがあるからこそ、生涯ベストにこの映画を入れているのです。

最後締めは映画の締めで終わりたいと思います。

「諸君、あの男の敗北を喜ぶな。世界は立ち上がり奴を阻止した。だが奴を生んだメス犬がまた発情している」ベルトルト・ブレヒト(ドイツ人・劇作家)

 

キングスマン ゴールデンサークル』 マシュー・ボーン/2018

さあさあ、所変わって、広島市シネコンで今年のロードショー初めです。

観たのは『キングスマン』の続編。

前作では、アメリカのマッチョ系スパイ映画に中指を立てるイギリス人的な〜それでいて007的ではない〜スパイ映画を確立させようという挑戦が光り、スタイリッシュでありながら、どことなく「やべえこいつらアメリカ人より頭おかしい」というイギリス人の地力を見せつけるエンディングで認められたわけです。

ところが今回。

「あれ、これイギリス製ミッションインポッシブルじゃね?」という絶対にあってはならない感想が鑑賞後に出てくるほど、アメリカ的。国際麻薬組織が仕掛ける全世界に向けた壮大かつショー的なテロを救うという筋書きがまずアメリカ的。前回は「すげえ鍛えた紳士が頑張るとこんだけすげえことできるんだよ」というアクションシーンに出来上がっていて面白かったのだが、今回はマーベル・DCコミックスもびっくりのスーパースパイがたくさん出てきます。途中アメリカの組織と共闘するのですが、イギリス→アメリカのジョークはアメリカ製ウイスキーを「馬の小便」と呼ぶくらいのおとなしいもの。

何が起きたんだ。20世紀フォックスのせいなのか。配給は確実にしているけど、金も出したのか。キングスマンのいいところを全部無くして、ミッションインポッシブルの悪いところを付け足したらこんな映画になりました、という感じです。

前作は面白いのでぜひご覧ください。

 

スターウォーズ 最後のジェダイライアン・ジョンソン/2017

キングスマンの衝撃冷めやらぬ中、はしごで観てきたのが、スターウォーズ新三部作の第2話。全体でみると8作目のこの作品。

このスターウォーズ、海外の批評サイトとか見ても賛否両論でなかなか参考にならなかったので自分で地雷を踏むつもりで観に行ったんですよ。ハートロッカーですね。なんか煙い映画はとりあえず見てみるに限りますよ。この映画を因数分解すると…

・前作に引き続き1〜6の同窓会

ルークかっこいい。ただ、お前そんなキャラだったっけ。ファンサービスで往年の名キャラクターを出すのはいいけど、いろいろ出しては殺しすぎだよ。もう次作、それなしで乗り切るのきついって。

・カイロ・レンはそろそろ落ち着いてダークサイドをやろう。

悪者っぷりがだめだ。親玉も含めて、チープな戦隊ものの悪役の方が悪役っぷりがいい。あと、カイロ・レンの葛藤とかいろいろ演出を観ていると、SF版ロード・オブ・ザ・リングを観ている気分になる。

・ディズニー的多様性が鼻につく

黒人もお世辞にも綺麗とは言えないアジア人も出して、全体としては多様性を標榜するが、主役を綺麗とは言えないアジア人女性にするとビジネスが失敗するのでそこは綺麗な白人の若い女性にしているというなんとも言えない偽善性

・主演女優が少しふくよかに

ディジー・リドリーちゃん。我々と同い年だし、他の映画にも頑張って挑戦しているからぜひ応援したい女優ではある。(ちなみに演技力はちょっとすごいお遊戯会くらい)この映画では若干ふくよかに。というか太りやすい痩せやすい体質なのか、シーンの撮影時期によって体型が変わるわ変わるわ。この間に何があったんすか?ってなっちゃうレベルなので、できたら最新技術で目立たないようにしてあげて欲しかった。

・市井の人々重視なのはわかるが…

説教くさい。もったいぶっては名もなき人々を強調するけども、1〜6であんだけ名もなき人々を木っ端微塵にしてきたシリーズが「歴史を作ったのは名もなき人々なんだ!」と言っても説得力がないし、この作品中でも「台本上名前の付いた名もなき人々」以外は木っ端微塵にされるし。名もなき人々を重視するのは結構なんだけど、もっとうまく演出しないと、観ててうざったい。

ベニチオ・デル・トロが現れる

突然登場。最初俺似てるなあとしか思ってなかったよ。でもね、俺個人としは「ベニチオ兄さんが出ていればその映画はいい映画」というずるい基準があってだな。

 

というわけで、総体あんまり好きではなかったですが、ベニチオ兄さんに免じて許してやろう、という感じでございます。

1〜8まで観続けてきて今更なんだけど、俺スターウォーズシリーズ嫌いだわ…ジョージ・ルーカスのコンプレックスの系譜としてみれていた自主映画時代(1〜6は実は自主映画です)は面白かったのだけど、ルーカスの手を離れたら、そんな面白くねえわ。

ただ、マーク・ハミルルーク・スカイウォーカー役)が「この映画は金ヅルで作れば確実に儲かるから、作られ続けるんだよ」と言っているように、おそらくこれからも作られるのでしょう。サーガっていうのは得てしてこういうもので、にわかも映画好きも狂信者も観続けるからこそ、サーガ化するんでしょうね。とりあえず、この7、8を観て、新しい神話・宗教というのはこうやって生まれるんだろうなあという感慨に新年早々浸ったわけです。

 

 

今年の映画評初めはこんなもんでいかがでしょうか。

もっと面白く書きたいとは思っているんですが、最近文が走りにくいのでこの辺で。

それでは2018年、良いお年になりますように。

バカ映画時報 番外編①

ロードショーものを扱っていたバカ映画時報ですが、

さすがにロードショーばっかり観ているほど暇ではないので、

TV,DVD,amazonビデオ等々で日々観ている映画もメモっておこうと思います。

 

映画館って1800円かかるじゃん?いわゆるバカ映画は大好きなんだけど、別に映画評論で金を稼いでいるわけではないので、1800円を毎週どぶに捨てるわけにはいかないんですね。だから、実はバカ映画時報としての本分はタダ乃至月額単位でバカスカ観られるこっちの方が観てたりするんですよ。

今回お送りするのは、ある1日で私が8時間ぶっ続けで観た映画4本。真面目→バカ→真面目→バカという順になっているのは、真面目な映画ばかり観ていると、バカになっちゃうからです。

 

さあ、1本目

『ボーダーライン』

これはリゾートビーチの片隅に人間の生首が置いてあるというジョン・ウォーターズもびっくりの趣向をこらすことでお馴染みのメキシコ麻薬カクテルとCIAの小競り合いにFBIの女性捜査官が巻き込まれるというお話。

監督は『ブレードランナー2049』を監督したドゥニ・ヴィルヌーヴ。カルト映画のリメイクってほぼ100%失敗する(カルトの信者は聖書の書き換えを認めてくれないからね)のだが、その割に好意的に捉えられているので、いい監督かもしれない。『灼熱の魂』という映画が代表作で、これはいい映画ですのでぜひ。

「ボーダーライン」という名前が示すとおり、この映画、色んなところでボーダーラインを超えます。

・まずメキシコとアメリカのボーダーラインを超えます。

・CIAが法のボーダーラインを超えます。

・女性捜査官が※※※のボーダーラインを超えます。

ちなみにこの映画の主人公のFBI捜査官ケイト・メイサーはエミリー・ブラントが演じています。エミリー・ブラントと言えば・・・『プラダを着た悪魔』のメリル・ストリープの秘書役であり、トムさん映画(トム・クルーズのための映画)『オール・ユー・ニード・イズ・キル』のヒロインであり、英語版『風立ちぬ』の菜穂子の声をやった人です。もうお分かりでしょう。書いている僕は全然出てたの覚えてないですが。

映画自体は普通に見れる面白い映画です。ただ、僕の印象に一番残っているのは、当初ケイト・メイサーが麻薬撲滅班に入った時に上司のおじさんがCIAであることは知らないんですが、おじさんが非合法な事をする度、「あなたCIAでしょ!」って詰め寄るんですね。アメリカでは「非合法な事をするおじさんはCIAである」という共通理解があるんでしょうか。FBIにも非合法なおじさんはいそうなもんですが・・・。

ということを考えている間に終わる映画でした。

 

はい、2本目

『エイリアン3』

なぜ、3なのか。1でも2でもなく。

それは僕の家のHDDの中に3だけ入っていたからである。

3といえば、デヴィッド・フィンチャーが監督デビューし、シガニー・ウィーバーに「お前が一番エイリアンだよ!!!」と激怒された(これはリドリー・スコットという説もある)上、めちゃくちゃに酷評されて、「俺、もう映画撮らない!」ってなりかけちゃったでお馴染みの映画。その後、フィンチャーは『セブン』という読後感が最高に最低な映画や『ファイトクラブ』という全ての人が青春に1回くらいは観た方がいい映画とか『ソーシャルネットワーク』でFacebookの創設者を描いたりしてファンが「フィンチャーも丸くなったなぁ、うんうん」と思っていた後、『ゴーン・ガール』という読後感最悪の映画を撮って、「あ、こいつそっち側の人だった~忘れてた~」となる、そんな映画監督に成長しました。

3がまず酷評されるのは冒頭、2であれだけ(観てない人は観てね)頑張った人たちをエイリアンと全く関係ない筋で10分以内にリプリー(シガニー・ウィーバーね)以外全員殺すという離れ業をやってのけたことが一番の問題ですね。

その後、エイリアンとの戦いが始まるわけなんですが、フィンチャーは身長180cmで1,2でエイリアンと死闘を演じた戦士リプリーウィーバーさんお世辞にもエロいとは言えない)にナゾのラブシーンをぶっこんだり、丸坊主にしたり、リプリーのお腹の中にエイリアンの赤ちゃんがいるというサイコ展開を作ったりとやりたい放題。

エイリアンの造形自体は男性器を模しているのは有名な話ではあるんだ。だからリプリーというのは男性器と闘う強い女性、ということでメタファー的にフェミニズム勃興の時代のヒーローだったりするわけなんですが、まずいつ寄生したんだろう・・・という疑問が1点、結構でかいけどリプリー気づかないの?っていうのが1点、など疑問が次々湧いてきてエイリアンに集中できない。

ただ、色々言われる本作ではありますが、『エイリアン1』の「絶対強者のエイリアンからいかに逃げるか」というのが主題に置かれていて、『2』で1回脱線してエイリアンと闘う路線から、回帰しているわけです。実はディレクターズ・カット版とか結構評価されたりしているので、観てみてください。

 

フィンチャーつながりで3本目

ドラゴンタトゥーの女

フィンチャーは猟奇殺人が大好きです。『セブン』から始まり、『ゾディアック』『ゴーンガール』と、人をいかに変態的に殺すかということを映画の主題に置いています。

ただ彼の狂気はしれっと『ソーシャルネットワーク』とか『ベンジャミン・バトン』とかヒューマンな映画を間々挟んでくるところにあります。

この映画の中で人は死んでいないですが(死体のシーンがないだけです)、フィンチャーはこの映画で「人を殺さなくても、変態は描ける」という境地に達したようです。

①ヒロインが変態

②ヒロインの後見人が変態

③犯人が親子二代で変態

④なんなら主人公もある意味変態

ということで、出てくる人間で変態じゃない人間がいないんですね。ただ奇跡としか言い様がないのが、変態しか出てこないのに、物語自体は非日常な感じはせず、結構淡々と進んでいきます。

たぶんフィンチャーのメッセージは「人類は皆変態だ。あなたの横のその人も変態だ。」ということなんでしょう。

変態が出てくる映画が好きな人はぜひ観てください。

 

やっと最後の4本目

『プロジェクトA』

だんだん疲れてきました。

ジャッキーチェンが主演・監督・製作した香港映画。

1つ大切な教訓があるんですが、だいたい主演・監督が一緒だと駄作になります。注意してください。

この映画観るのはもう5回目くらい(なんでこの映画そんなに観てんだろ・・・)なんで、新鮮さは微塵もないんですが、新しい発見として、OPロールが当然中国語なんですが、そこで題名が「A計劃」とでかい文字で出てきます。なんかクスッときます。

この映画について評することはないし、もういい加減書くのに疲れてきたので、中国映画の雑学をお伝えして今回を終わろうかと思います。

中国映画(台湾映画は別に考えてね)といえば、カンフーだとみんな思うと思います。事実、カンフー映画以外で世界進出したのはジョン・ウーとジャ・ジャンクーくらいのもんで(チェン・カイコーとかもまあいるんですが)、中国映画の遺伝子の85%くらいはカンフーでできていると捉えて頂いて結構です。

ただ、カンフーって実は闘ってないと言われているんです。「いや、殴ってるじゃん!」と思ったそこのあなた!中国では共産党を倒す戦力を持つことを禁止してます。仮に武器じゃなくても超強い個人は基本存在してはいけないんですね。そ・こ・で、「カンフーというのは踊りです」というエキセントリックな理論で乗り切ることになりました。『酔拳』も『プロジェクトA』も基本ジャッキーは踊っているだけです。踊っている過程で手が当たって、相手が倒れるだけであって、特訓も基本的にはよりアグレッシブに踊るための訓練をしているに過ぎないんですね。そういうところまで考えて観ると、この映画がどれだけ、「バカ映画」か~閑話休題~という事がわかって頂けるのではないでしょうか!

 

以上、終わり!

バカ映画時報第8弾

バックナンバー第8弾

『昼飯時にふと思い出した、僕の脳みそが見なかったことにしていた映画』評

そういえばこんな映画も見ていました。

銀魂』/ 福田雄一
まず最初に確認しておきたいことがある。
僕は福田雄一が大嫌いだ。
・刹那的な笑いのためのストーリーの崩壊
・内輪も内輪、半径10cmにしかわからない内輪ネタをしたり顔でぶっこんでくる
・面白くないことをあえて面白いかのようにやっちゃう俺すごくない?という歪んだ自己顕示欲
…まあつまり視聴者のテレビ離れを引き起こした要素を凝縮した映画を乱発している。
日本映画界から早急に彼を追放した方がいい、とまで思っている。

が、『銀魂』を観てしまった。
原作は知っている。ただ知っている程度で好きでも嫌いでもない。なぜ観てしまったのか。
弟に「銀魂観に行く」と言ったら「落ち着け」と言われたにも関わらず。
僕はクソ映画好きなのかもしれない。
というのも、クソの臭いを嗅いでおかないと、カレーとクソの区別がつかないように、クソ映画を見なければ、いい映画が語れないと思うからだ。

以上、何か哲学論争のような独白になってしまったが、皆さんにクソの臭いを嗅がせてあげよう。

さて。
この映画、キャストは豪華絢爛である。福田雄一という監督の映画にこれだけ集うということは、きっと福田雄一には「強力な何か」がついているんだろう。
伝統的かつ退廃的なテレビ界の流儀として、「豪華な人にこんなことをさせました、面白いでしょ」という悪しき流儀がある。これは最初にやった人がすごいんであって、続いた人間は面白くもなんともない。どう見ても腐った大豆にしか見えない納豆を最初に食べたやつはすごいと思うが、その後納豆がうまいことがわかって納豆を食って胸を張ってるやつがいたら、確実に頭がおかしいやつであるように、もう使い古されたこの流儀を映画に導入するとどうなるか…。
納豆役者の筆頭になるのは近藤勲中村勘九郎。彼はほぼ全編裸でスクリーンを走り回っている。いや、自分で書いてて面白くない文章になってるのがとても心苦しいのだが、本当にそうなのだからこれを1800円払って2時間見せられる私の気持ちを忖度して許してほしい。
いいのか勘九郎、天国で勘三郎が泣いてるぞ。

内輪ネタはそもそも僕が内輪にいないので、理解できないし、理解できないものは脳に残らない、というわけで1ミリも覚えてない。こんなことに1バイトも脳の容量を割きたくない。

そして、福田雄一の真骨頂。「面白くないことをあえてやる俺面白くない?」現象、色々省略して「面白くない現象」と呼ぼう。
劇中「面白くない現象」は何度も起きるのだが、1番記憶に残ってるのは、発明家的な人のところに行くと、シャアがザクを修理してた的なエピソードがある。これ、原作にもあるっぽい。
今一度確認しておきたいんだが、映画と漫画は違うメディアだ。いや、馬鹿みたいな確認なのはわかっている。ただ、それを知らない人が作ってるのではないかと思ってしまう。
漫画はページオチという技が使える。開いて左のページにつかみを持って来て、次のページでオチを見せる。もともと漫画はコマ割りをして、カット間を飛ばし飛ばし書いて、その行間を読者が動きを想像して埋めながらストーリーを展開していくもので、だからこそこのネタは面白い。
ただ、実写映画で生きた人間がこれをやると単なる瞬間移動と時空の歪みにしか見えない。そこで懇切丁寧に前置きをした上でオチを持ってくるという形になる。宴会で若手社員が「これから面白いことやるんでしょ」という面白くない先輩のフリを受けて、なんかやったとして滑らないはずがないように、「これから面白いことやりますよー」って前置きしてなんかやって面白いはずがない。これは視聴者はバカだというテレビマンの基本姿勢に関わってくると思うのだが、だいたいにして視聴者より作り手の方がバカなだけだったりする。

と、い、う、わ、け、で。
皆さんクソの臭いは嗅げましたでしょうか。
この長々とした映画評の締めくくりとして、ふと思ったことを書くと、クソは人間が生きるのに必要であるのに対して、この映画は映画界に必要ないわけで、この映画をクソ映画というのは失礼無礼極まりないかもしれない。もちろん、クソにとってね。